御頭會
御頭會
おとうえ
身延山久遠寺では、毎年正月一三日に古式豊かな御頭会という芽出度い儀式が盛大に行われている。
正月一三日は日蓮聖人の初の御命日である。
御頭会とは新年の御年頭会大会の異称で、日蓮門下僧俗一体となって「此の山を本として参るべし、これ即ち霊山の契りなり」(定一九三一頁)との御遺命に応え、棲神閣祖師堂に於いて聖人の御魂に謹んで御年賀を申し上げ、且つは異体同心、広宣流布の誓いも新たに本年一ヵ年の慶福を祈念する、最も意義深い、新春身延の慶事である。
御頭会の縁起は、聖人身延入山の翌年、建治元年(一二七五年)の元旦、六老僧並びに開基檀越草庵に参集し、親しく聖人に御年賀を申上げ、更に聖人導師の下に立正安国、天長地久、四海帰妙の国祷会が厳修された故事に縁由する。
こうして正月一三日が偶々波木井実長の先祖の祥月命日に当たっていたので、実長が新年の祝祷と共に併せて先祖の回向を営むべく聖人を屈請申上げた処、聖人は之を承諾され、忠僕熊王四郎(竜口法難のとき、刑場まで馬の手綱をもっていたとも伝えられ、四条金吾の館に注進に行った人。聖人身延山入山後、聖人の偉徳を慕い、身延に住みつき、御頭会の時の綱とりは、以来、今日に至るまでその子孫が行っているという)が轡をとる駿馬(実長献上二才駒)を召され、参集の僧侶と共に西谷より上り、内の総門の外、梅平の館へ赴かれて広く仏事をなされた。
此時以来、この年頭の祝儀が吉例となって、聖人身延在山九ヵ年の間は欠くことなく、越えて弘安五年(一二八二)一〇月一三日、聖人入滅の後は、初の御命日に当る正月一三日として、聖人の尊霊に賀を献じ忍難慈勝高徳を偲び、恰も聖人が生きているかの如くに奉行するに至ったのである。
御頭会は二祖日向を経て、年と共に宗門の興隆に従って益々盛大荘厳を極めるようになったが、やがて門下の分裂分派等のため、延宝の頃(三七世日通代)より身延一山の行事となり、次第に衰微した。
然るに宝暦年間(一七五一-六四)に至り、第四二世耐慈院日辰が御頭会の復興を計り、呼び掛けに応じた十方篤信者は夫々に田畑を身延山に寄進し、之を元として御頭会は再び昔の盛儀を見るに至った。
これ等篤信者の団体を「御頭講」と称し、その個人を特に「御頭講本願人」と呼び、厚くその法労を讃えた。
終戦後の農地法に依ってこれらの田畑は一切失われたが、御頭会は年ごとに盛んになっている。
現在は、御年頭会と称され身延町の無形民俗文化財に指定されている。