姉崎正治【文学】
姉崎正治【文学】
あねざきまさはる
(一八七三-一九四九)
京都出身。
号は嘲風ちょうふう。
明治・大正・昭和期の宗教学者。
宗教学の視点から日蓮聖人研究に取組み、『法華経の行者日蓮』などの著作論文を発表した。東大在学中より高山樗牛らと『帝国文学』を創刊、宗教的色彩の強い文芸評論を行い、明治三三年(一九〇〇)に『宗教学概論』を書いた。
同年、英・仏・インドに留学して宗教学を修め、帰国後東大の講師・助教授・教授を歴任。
宗教学講座を担当し、『宗教研究』を発刊すると共に仏教・ヒンズー教およびキリシタン研究などに先駆的業績を残した。
また、ハーバード大学などで日本文明講座を担当し、日本文化の紹介や学術文芸の国際協力にも貢献した。
ほかに『時代思潮』を創刊して社会精神の覚醒を図り、泉鏡花・笹川臨風らと文芸革新会を結成して文芸復興に努めるなど、評論家としても多彩な活動を展開した。特に近代宗教学の開拓者としての足跡は大きい。
宗教哲学・宗教社会学・宗教心理学の分野に及び、インド宗教史や東西宗教の比較研究に基づく宗教学の体系化を推進し、仏陀の存在を解明して根本仏教に関する宗教学研究を大成させた。
『仏教聖典史論』(明治三二年)、『現身仏と法身仏』(明治三七年)、『根本仏教』(明治四三年)など数多くの著作がある。
親友高山樗牛との往復書書簡は、明治後期の青年に影響を与え、宗教的浪漫主議の代表として論壇の一方をリードした。
高山樗牛の没頭した日蓮聖人研究の遺志を受継ぎ、四〇歳以降はもっぱら日蓮聖人の組織的研究に傾注した。
大正二年(一九一三)、山川智応と共に『高山樗牛と日蓮上人』を刊行し樗牛の日蓮聖人研究の成果をまとめ、引続いて大正五年に『法華経の行者日蓮』を世に送った。
宗教学の視点と日蓮聖人遺文に基づき、日蓮聖人の人格・経歴・思想信仰について研究崇敬の結果を総体的に結晶させ、宗教改革者であると同時に懺悔滅罪の行者・本仏の魂を活現する聖者としての「法華経の行者」日蓮聖人像を提示することによって、初めて体系的な聖人論を完成させた。
さらに岩波文庫から『日蓮上人文抄』昭和五年(一九三〇)を刊行したほか、「日蓮上人の身延隠棲」「日蓮上人の特色」などの論文を次々に発表。
心血を注ぎ、半生を貫いて日蓮聖人研究に全力を尽くした。
昭和一〇年(一九三五)に日蓮聖人遺文削除問題が起こったときには、山川智応らと共に削除回避にも尽力している。
昭和五年(一九三〇)に帝国学士院会員となり、昭和一四年(一九三九)には貴族院議員に推挙される。
自伝『わが生涯』、嘲風会編『姉崎正治先生書誌』に足跡が記されている。
昭和二四年(一九四九)七月二三日、七七歳で没し鎌倉妙本寺に葬られた。
法号は鷲峰院嘲風正法日治居士。
《『国史大辞典』一巻「姉崎正治」の項、西山茂『近現代の法華運動と在家教団』(春秋社『シリーズ日蓮』四)》