妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

霊友会

れいゆうかい #5182

霊友会

れいゆうかい

法華系新興宗教の母体となり源流でもある在家団。
大正八年(一九一九)に久保角太郎(一八九二-一九四四)らが「霊の友会」を結成したのに始まる。
久保は法華経信者の増子酉吉(国柱会々員)の感化を受けたが、のち霊能者の若月チセや信者戸次(べつぎ)貞雄に親近、更に横浜で「仏所護念」を説く西田俊蔵による先祖供養の教えに共感し、若月、戸次らと霊の友会をつくり家の先祖供養に励む信仰活動を開始した。
特に西田の創案した「祈願唱」とよぶ祈りの言葉と「生院徳」の文字を用いた戒名形式を継承し「霊鑑」と名づけた過去帳をつくって先祖供養をすすめた。
次いで兄小谷安吉とその妻喜美(一九〇一-七一)と共に大正一四年一〇月に「大日本霊友会」を設立した。
喜美は会長となり、若月・戸次が離脱したのちは霊能者としての働きによって布教活動に取組み、久保は理事長として会を統率し昭和六年(一九三一)に伊勢神宮に「一天の戒壇」建立を祈り、法華経の中心理念は「仏所護念」にあり菩薩の法は先祖供養と「お導き」(布教)にあることを体得したといわれ、ここに法華経信仰と先祖供養(万霊をふくむ)とを結合する基本が形成された。
戦前の活動は、この先祖供養を中心としつつ、先祖と家内一同の懺悔滅罪によって悪い因縁を切り霊の加護をうけて自己の霊と万霊とが結合する「霊友」を説き、また日蓮宗瑞竜寺門跡の村雲尼公(九条日浄)と接触を深めつつ、会長小谷喜美の霊能と強烈な個に支えられて線を拡大した。
しかし小谷喜美の独裁的指導に反発して岡野正道(孝道教団)、高橋覚太郎(霊照会、のち三界教団)、井戸清行(思親会)、庭野日敬(立正佼成会)などが離反分立、久保も昭和一九年に没した。
戦後も「金塊件」といわれる脱税容疑による小谷の検挙、釈放や小谷の独裁に反発した長沢銀次郎(博愛同志)、宮本ミツ(妙智会)、関口嘉一・トミノ(仏所護念会)らによる第二次分立、赤い羽根募金横領容疑による小谷の検挙・釈放などの件に直面、一時勢は後退した。
やがて昭和二九年に青年部を新設、久保角太郎の子継成(一九三六-)を部長に再建を図り育・社会業にも取組み、三八年には伊豆に「聖地弥勒山」を完成、新教典「弥勒経」をつくり弥勒信仰を導入しながら「の世界実現」を目標に勢力の回復を図った。
同四六年に小谷喜美が没すると久保継成が第二代会長となり「いんなあ・とりっぷ」(人の心にかえろう)を合言葉に掲げて、青少年を対象に近代的装いをこらした布教方向を打出し、同五〇年には同会本部(東京都港区)に釈迦殿を完成、また「在家主義教のすすめ」を説いて近代的通の方向を鮮明にしている。
《『史大辞典』一四巻「霊友会」の項》

← 事典トップ