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過去七仏

かこしちぶつ #4967

過去七仏

かこしちぶつ

ゴータマ・ブッダの生誕のころ釈迦族には過去六信仰があった。
ち過去に六が順次この世に現れて人びとを救済したが、近い将来に再び仏陀が出現するという信仰であった。
『スッタニパータ』(経集)には、ブッダが生誕したとき、アシダ仙は王子を抱きあげてその様相を検べ「この王子は正覚の頂に達するでしょう。 この人は最上の清浄を見、多くの人びとの利益をはかり、あわれむがゆえに、法輪を転ずるでしょう」と言って宮殿を去ったという。
この代の中インド社会は、政治的・経済的に大きな変動の過程にあり、世の人々の利益を図り、人々を教導する聖者の出現が希求されていた。 この信仰にも導入されたとみられる。
『テーラガーター』(長老偈)には「過去六仏の踏みゆきし道をゴータマも行けり」と記すごとく、ゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)を第七仏に加えて七仏の信仰を提示している。
とは(1)毘婆尸(びばし)(Vipaśyin)、(2)尸棄(しき)(Śikhin)、(3)毘舎浮(びしやぶ)(Viśvabhū)、(4)倶留孫(くるそん)(Krakucchanda)、(5)拘那含牟尼(くなごんむに)(Kanakamuni)、(6)迦葉(かしよう)(Kāśyapa)、(7)釈迦牟尼(しやかむに)(Śākyamuni)であって、(4)-(7)の四仏は賢劫(げんごう)(現在の住劫)の四と名づけられている。
ゴータマ・ブッダの晩年に、提婆達多はマガダの阿闍世太子を煽動して王位を簒奪せしめた。
また彼自身はブッダに代って団の長となろうとしたが成功しなかったため、ブッダに五法を提案し、しりぞけられるや分派して独立の宗団を創設したという。
教僧伽は僧院化する傾向にあったが、提婆達多は釈迦族の信仰と原始的な遊行者の生活を維持することを主張したもとのとみられる。
五世紀にインドを遊行した法顕(ほつけん)は『高僧法顕伝』のコーサラの条に「調達(じようだつ)(提婆達多)にもまた衆があって、つねに過去の三仏供養してただ釈迦文(しやかもん)(釈迦牟尼)仏のみは供養しない」と記している。
これは提婆達多の衆徒が、過去三仏(倶留孫・拘那含・迦葉)を信仰する釈迦族の宗教を継承し、の開祖釈迦牟尼を尊敬しない宗団であったことを推定せしめる。
また七世紀にインドを旅行した玄奘(げんじよう)は『大唐西域記』のカルナスヴァルナ国の条に「別に三伽藍があり、乳酪を食することなく提婆達多の遺訓に遵がっている」と記しており、彼らが提婆達多の五法を遵守していたことを伝えている。
阿育(あいく)王のニガーリー・サーガル碑文には「愛喜見王は灌頂十四年に拘那含牟尼の塔を二倍に(または再)増築した。 また灌頂(碑文欠五語)年に自ら来て崇敬をなした。 〔また石を建立〕せしめた」と記しており、過去七仏中の第五仏の塔を修築して供養したことを伝えている。
『高僧法顕伝』や『大唐西域記』には、釈迦族の故郷に釈迦牟尼を除く三仏の本生・成道・涅槃の聖地とそれぞれの塔が存在したことを伝えている。
過去七仏の信仰は、のちに過去十五仏・過去二十四仏・過去五十三仏、更に過去・現在・未来の三千へと展開する。
《『遺文辞典』歴史篇「過去の七仏」の項、『広説仏教語大辞典』「過去七佛」の項、『岩波仏教辞典』『図説仏教語大辞典』「過去七仏」の項

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