身延文庫
身延文庫
みのぶぶんこ
身延山久遠寺伝来の典籍・古文書・経典・絵画・仏像・什器等を収蔵する庫。
草創は日蓮聖人身延在山時代の文永一二年(一二七五)にさかのぼる。
この年の三月聖人は檀越の曽谷・大田両氏に「此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し、八宗の章疏を習学すべし。然れば則ち予所持の聖教多々之れ有りき。然りと雖も両度の御勘気、衆度の大難の時、或は一巻二巻散失し、或は一字二字脱落し、或は魚魯の謬悞、或は一部二部損朽す。若し黙止して一期を過くるの後には弟子等定んで謬乱出来の基なり。爰を以て愚身老耄已前に之を糺調せんと欲す。而に風聞の如くんば貴辺竝びに大田金吾殿越中の御所領の内竝びに近辺の寺々に数多の聖教あり等云云。両人共に大檀那たり。所願を成ぜしめたまへ」(定九一〇頁)と聖教蒐集の依頼をしている。
このように聖人自らの発願により、広宣流布のため、弟子らの育成のため、身延文庫は創立されたのである。
その後身延十一世日朝による日蓮聖人遺文の蒐集謹写、『御書見聞』等の遺文注釈書の述作、天台学を中心とする数百巻の著述筆写、霊宝目録の作成、更に続いて入山した弟子日意・日伝による文庫の充実発展。
二一世日乾・二二世日遠・二六世日暹・二七世日境による蔵書の一層の充実、整備。
三一世日脱・三三世日亨・四一世日妙による文庫の厳しい制規の制定等、これらの歴代貫首を始めとする多くの人々の努力により、護持、経営がなされてきた。
不幸にも明治八年(一八七五)一月一〇日の大火により久遠寺の諸堂宇が灰燼に帰し、文庫は東蔵・西蔵を残したものの、御真骨宝蔵・経蔵等を失い、御真骨宝蔵に収め置かれた日蓮聖人自筆の本尊・遺文等の重宝類を焼失してしまった。
しかし、その後久遠寺の復興がなされるにつれ、文庫も次第に整備拡充されていった。
明治から大正にかけて、島智良による蔵書の整理修補と写本目録の作成、江利山義顕の継続整理、そして昭和に入って室住一妙による未整理の写本類、古文書等の調査、整理、写本・板本の書誌台帳稿本等の作成などがなされてきた。
昭和五一年(一九七六)には、日蓮聖人第七〇〇遠忌報恩事業の一環として、長い間の懸案であった身延山宝物収蔵庫が建設され、『身延山久遠寺身延文庫所蔵文書・絵画目録』も公刊された。
更に、調査・整理が続けられて、平成一五年以降『身延文庫典籍目録』上・中・下三冊に総合され公刊された。