江利山義顕
江利山義顕
えりやまぎけん
(一八九三-一九六五)
明治二六年三月青森県に生れ、昭和四〇年二月二四日遠光寺に遷化。
七三歳。
権大僧正、一九歳温湯遠光寺盛威山に就いて得度。
日蓮宗大学中等部より予科・本科に進んだが、大正八年(一九一九)三月病気のため退学。
同一一年七月より静岡市清水区妙慶寺において『充洽園全集』の編纂に従事しこれを完成す。
同一三年九月より身延山に登り、島智良遷化の後一時中止の身延文庫の整理をなし、別に昭和四年(一九二九)四月より祖山学院助教授を兼ね、宗門史及び宗乗を担当した。
昭和五年師範遷化し同七月遠光寺二一世を継承す。
昭和二四年身延山教学部長、宗会議員特選、身延山高等学校長、翌二五年身延山短期大学学頭に任じ、二六年宗本一体制の下では日蓮宗山務司監を務めた。
昭和二七年開宗七〇〇年慶讃事業としての『昭和定本日蓮聖人遺文』の刊行は特記すべきもので、この時埼玉県の篤信内田秀夫は多額の刊行費を寄付した。
管長ならびに法主としての増田日遠の下に在って宗務および山務の要職に任じて補佐に努めた。
昭和三三年祖廟別当中病に倒れ、以後郷里に在って療養すること七年、四〇年一二月遷化した。
昭和四六年に次男篠村正雄の編輯した『身延山と私』には、師の年譜が詳細に掲げてある。