裹頭
裹頭
かとう
法服の一つで、白羽二重大幅八尺を二つ折りにして四尺の重ねとし、その両端を縫って袖形の環としたものをいう。
本宗では一般に襟巻と呼び、『宗定法要式』(平成23年改訂再版 二一九頁)でも名目には襟巻としてとりあげているが、天台、真言、浄土などの各宗では縹帽子(はなだぼうし)、はなだ帽子、花の帽子、もしくは領帽(りようぼう)などの呼び方をしている。
起源は隋の煬帝(ようだい)が天台大師から菩薩戒を受けた時、厳寒の季節だったので、煬帝が大師の身をいたわって、自らの衣帯の縹袖を解いて大師の頭を裹(つつ)まれたのこと「裹頭」に始まり、日本に於ては桓武天皇(七八一-八〇六)に伝教大師から円頓戒を受けた時、隋の煬帝の古例にならって御衣の片袖を解いて、大師に授けられたことに始まると『顕密威儀便覧』巻下・裹頭ノ項に記されているように、防寒と敬老の意味をもつものであった。
そして、この桓武天皇の例を始まりとして後代、各宗の高僧に下賜されるようになり、江戸時代に至っては、紫衣と同様、免許によってこれを着用するようになったが、第一図の伝教大師画像などのように、頭をつつむ形に用いることは、天台座主など特別の僧に限られ、一般には、第二図の如く、法衣の上、袈裟の下に掛けて用いている。
なお、縹という字には空色、水色、萌黄色などの意味があり、天台大師が隋の煬帝から賜わった帽子が縹色の絹であったので、縹帽子と呼ぶようになったとも推測されるが、わが国に於ては各宗とも「帽子は、無地白羽二重に限る」と規定していうる。
そして、これを用いる時期は宗派によって異なるが、ほぼ一〇月から翌年四-五月までの間であり、本宗では一〇月の御会式から四月の開宗会までとしている。
なお、僧侶が冠りものを用いるようになったのは、一説によると小乗律部の『四分律』に説くところの「防寒の為に毛織物や綿布でつくった帽子で頭をつつんだ」ことに始まるともいわれているが、これは、ラマ僧の僧冠などを始めとして、本宗で用いている燕尾帽子(えんびもうす)、角帽子など、威儀を整えるための所謂「帽子類(もうするい)」の起源とみるべきものである。
『宗定法要式』(平成23年改訂再版 二一八-二一九頁)。
図版