妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

桑ヶ谷問答

くわがやつもんどう #3588

桑ヶ谷問答

くわがやつもんどう

建治三年(一二七七)の春頃、叡山の学僧竜象房は鎌倉に下り、極楽寺良観とはかつて桑ヶ谷の愛染堂で説法、日蓮聖人えを誹謗して団の崩壊を狙った。
彼の弁舌は流暢で、しかも仏法に不審があれば、この座で質問せよと豪語したから、人々の信頼を得て日々に声名が高くなり、釈尊の再来といわれた。
聖人の直弟、三位房はこの傲慢さを挫くため、同年六月九日、愛染堂へ問答に赴く途中、四条頼基の邸に立ち寄り、同行を勧めた。 頼基はあいにく公用で同道できず、公用が終ってから駆けつけると、問答の段になっていた。 三位房の論難は鋭く、数次の問答で竜象房は閉口屈伏し、その夜のうちに鎌倉を逐電した。 これを桑ヶ谷問答という。
その後、六月二五日になって頼基の主君江馬光は、頼基のもとに下文を使者に持参させ、謹慎逼塞を命じた。 光良観信者であったから、臣下が主君に仕える世間の礼儀を挙げて、重臣である頼基が、日蓮聖人と信仰関係を絶つ起請文を提出することを迫った。
また問答の折に、頼基が兵仗を帯し徒党を組んで口雑言したことは、当座の人々が目撃していると非難した。 この件は頼基の同輩が、主君に重く用いられている彼を陥れるために仕組んだ讒言であった。
頼基はの顛末を即日身延聖人の許に報じた。 聖人は陳状一通を代作して頼基に与え、主君に提出して謗りを免れる助力をされた。 『頼基陳情』(定一三四六頁)がそれである。
頼基の使者がこの陳状を持って身延から帰る際、聖人は既にこの時身延に帰っていた三位房を同行させて事件に対処させるつもりでいたが、あいにく三位房が病気を患ったため、代人を遣わす心遣いをされている。
頼基は主君の勘気を受けても退転せず、一逼塞のやむなきに至ったが、もなく召し出され、主君の病気を治療した至誠が認められて勘気がとけた。
《『日蓮聖人御遺文講義』一三巻、立正大学日蓮教学研究所『日蓮教団全史』上、『遺文辞典』歴史篇「桑谷」「三位房」「四条左衛門尉」「龍象房」の項

← 事典トップ