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末燈鈔

まっとうしょう #3330

末燈鈔

まっとうしょう

一巻(または二巻)。
親鸞(一一七三-一二六二)撰。
従覚慈俊(一二九五-一三六〇)編。
『正蔵』八三巻、『真宗聖教全書』第二巻所収。
内題に『本願寺親鸞大師御己證並辺州所々御消息等類聚鈔』と記されている通り、親鸞の宗教的内証と諸に送った書簡を集めたもの。
現在、従覚(覚如の次男)の編集本は伝わっていない。
現行本は文安四年(一四四七)の蓮如の書写本による。
跋文によると正慶二年(一三三三)四月二五日、二二通の法語・消息を集大成したとあるが、現行本は二一通の形をとっている(第一九通を二通と数えると二二通となる)。
調巻は写本によって、一巻・本末二巻の異なりがある。
阿弥陀仏の他力廻向の誓願に摂取される念仏信仰を説く。
なかでも第五通は「自然法爾」について詳説し、「自然といふは、もとよりしからしむるといふことばなり」とあり、念仏批判をされていた日蓮聖人にとって「日蓮聖人の「自然譲与」の教理と論理構造上における類似が認められる。
乗信御房に宛てた文応元年(一二六〇)十一月一三日付の第六通には「なによりも、こぞ・ことし、老少男女おほくのひとびとの死あひて候らんことこそ、あはれに候へ。ただし、生死無常のことはり、くはしく如来のときおかせおはしまして候うへは、おどろきおぼしめすべからず候」と記している。
うち続く変地異の災害を諦観し、如来の御意の中に受容していった態度は聖人と対照をなしている。
聖人は現実社会の悲惨な情況のなかで疑問を抱き、その原因を追求していかれた。
立正安国論』の執筆と幕府への呈出がそれである。
八八歳の親鸞と三九歳の聖人という、宗教体験や宗教性の異なりもあるが、共通した社会情況の中での両者の極端な態の異なりは興味深いものがある。
《『親鸞辞典』(東京堂出版)「末灯鈔」の項、『遺文辞典』教学篇「自然譲与」の項》

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