日範(大善阿闍梨・朗門九鳳)
日範(大善阿闍梨・朗門九鳳)
にちはん
(一二〇一-一三二〇)
日朗の門弟で、九老僧(朗門の九鳳)の一人。
宗門史跡の京都府福知山市常照寺の開山。
大善(大前)阿闍梨という。
もと真言宗の僧侶で、すぐれた学僧であった。
かつて日朗と弘法大師の「大日経第一、華厳経第二、法華経第三戯論の説」や、慈覚大師の「大日経は法華経と理同事勝の説」をめぐって法論し、日朗に服して宗を改めたという。
時に日像が帝都開教の望みを懐き、寒天一百夜を刻し、鎌倉の由比ヶ浜に出て、その勇気を試みた。精修苦行する有様は、とても普通の者では耐えられるものではなかった。
日範はこれを見て感嘆し、礼を篤くして交わった。
延慶三年(一三一〇)日像が京都にあって教化伝道にあたっており、深草の極楽寺や鶏冠井の真経寺などを改宗させていた。
これを聞いて大いに喜び、はるかに京都に上ってこれを賀し、法労をねぎらった。
日像も大いに日範の友情の誠を歓び、強いて日範を留めた。
たまたま丹波福知山を通過したとき、その土地に信士があり、もと甲州小室の人であった。
かつて日蓮聖人の教化をうけ信徒となったが、流洛してこの地にきたといい、人よんで小室といっていた。
日範が和久河の上に至り、巨石に踞して唱題した。
すると村の童児らが、この人は小室のような唱えをするといって笑った。
日範はこれを聞いて村の童児の案内でその人のもとへ行き、ついに小室の信士と会った。
信士は大いに喜び、住んでいた所の荒加山を日範に与え寺を建立した。
これが福知山常照寺という。
日範は寺を日像に嘱し、鎌倉へ帰る途中、伊豆国船田村に本敬寺(現存しない)や相模国雑末村に長妙山円教寺(座間市座間に現存)を建立した。
また三浦半島を教化して、寿福山延寿寺(三浦市初声町下宮田に現存)、円海山大乗寺(同市三崎に現存)、近浦山円徳寺(同市初声町和田に現存)の三ヵ寺を建立した。
元応二年(一三二〇)正月、師の日朗の喪にあい、報恩のおつとめを一日も欠かさず、三月一五日、一心に唱題して日朗を追って遷化。
その年齢は明らかでないが、一説に一二〇歳という。
《『日本仏教人名辞典』「日範」の項、宮崎英修『日蓮宗徒群像』》