日定(実修院)
日定(実修院)
にちじょう
(-一六〇六)
実修院と号す。
山梨県勝沼町休息山立正寺第一三世。
当時は大宝二年(七〇二)の創建になり三論宗に属して子安山地蔵寺と称したが、延長三年(九二五)に真言宗に改宗し、長和四年(一〇一五)金剛山胎蔵寺と改称、文永三年(一二六六)住持辻之坊宥範は改宗して日乗と改め、以来休息山立正寺と称す。
天正一〇年(一五八二)三月三日、武田勝頼が天目山に滅亡の日、立正寺も兵火に遭遇して七堂伽蓋方丈等すべてを焼失した。
当住一二世日業は復興再建の発願をするも、当寺が勝劣派にては再興おぼつかなしとして、一致派に帰属して当寺の復興存続をはかる。
日業は臨終に当って付弟の実修日定並に大衆に対して再興の念願を遺誡して天正一九年正月三日寂す。
日定は直に寺僧の正覚坊・本妙坊を身延山に遣わして貫主一七世慈雲日新に対して改派の旨を申入れて懇願す。
日新はこれを聴許して曼荼羅中に一致改派の印判をして贈る。
立正寺が身延の末寺となる縁由である。
日定は在位七年、本堂の再建を果す。
慶長一一年一一月二三日化す。
享年不詳。
《『身延山史』、山梨日日新聞社『山梨県事典』、『立正寺過去帳』》