妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日孝(大中院)

にちこう #2557

日孝(大中院)

にちこう

(一六四二-一七〇八)
字は慈忍、大中院と号す。
寛永一九年京都に生まれ、宝永五年六七歳をもって寂。
父の姓は伊関氏、祖母が熱心な法華信者で常に法華経を読誦していたのを、赤子の時から耳にしていた日は自然に幼少に法華経を暗誦してしまったという。
九歳の九識日琢に投じて出家
一二歳の京深草の法華律の創始者草山元政(一六二三―六八)の門に入り、元政の厳しい行学指導を受けた。
元政の元で精励し、特に書や文に分を発揮した。
万治二年(一六五九)元政は『身延行記』を日孝に浄書せしめ、時の上皇に奉った。上皇は『身延行記』のすぐれた文に驚くと共にその名筆にも感嘆し、これをほめたたえた。日一八歳ので、その筆名は大いに上った。
二七歳の、元政の寂にあい、その後志すところあって笈を関東に負い、飯高檀林に学び、学を究む。
その功成り身延西谷檀林一四世の化主に招せられ、更に飯高三一世の化主に晋み、また谷中瑞輪寺を経て小湊誕生寺二二世の法灯を継承している。
日蓮宗の信仰者水戸光圀は日孝の徳を重んじしばしば招請して法を聞き篤く帰依した。両者の交わした手紙が数通残っている。
は草山元政の学の面を継ぎ『別頭四十二章』(別名「通別一覧志」)六巻、『釈氏蒙求』三巻、『宗旨漢語』六巻等の著作がある。
宗旨漢語』は宗旨を海外に弘めんとして『教機時国抄』『開目抄』『本尊抄』等の七篇を漢訳したものであり、『別頭四十二章』と共に日潮が『本化別頭仏祖統紀』の中に載せている。
更に日は詩文をくし『水雲集』二巻は平生の詩文をまとめたものであり、その他『本化別頭仏祖統紀』の「扶宗明文志」には彼の文が多く集められている。
その中でも「七面大明神縁起」や延宝三年(一六七五)春作るところの「鏡銘」等の文は最も人口に膾炙し、大中日の名を高めさせているものである。
《『日本仏教人名辞典』「日」の項》

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