一体仏造立
一体仏造立
いったいぶつぞうりゅう
仏の語は狭義には如来であるが、広義には諸仏菩薩・諸天等の諸尊を指す。
一体仏造立とは、脇士をつけずにただ一体の木像・鋳像・石像などによる造像をいう。
日蓮宗では観音・浄行などの菩薩、あるいは守護神としての鬼子母神、摩利支天などの諸天の造立はあっても、如来の造立は原則として釈迦仏しか認めない。
しかし、本尊としての釈迦一仏の造立は、それがインド応現の始成正覚の仏であるのか、法華経寿量品の久遠実成の仏であるのか、一体仏のままでは区別がつかないという問題が生じる。
このため、本尊が久遠の釈迦仏であることを立証する条件が必要となるわけであるが、日蓮聖人は、「本門の教主並に四大菩薩」(『本尊抄』)と述べて、上行や無辺行などの地涌の菩薩の上首四人を脇士とするとしている。
そこに久遠仏としての本門の本尊が現わされるのである。
ただし、日蓮宗における釈迦一体仏造立については、特殊な事例においてのみ確認でき、主に持仏・随身仏のかたちで用いられることがあった。
日蓮聖人は早く立教開宗当時から持仏として護持されており、また伊豆伊東の八郎左衛門から譲られた釈迦立像を、生涯随身仏とされた。
日蓮聖人門下もそれぞれ持仏として護持し、国家諫暁には必ずたずさえていた。
しかし、聖人門下各派の中で日興門流では釈迦脱仏とし造立を否定し、蔵人日代、顕応日教などは『弟子分与帳』を引用し、造立に過あるが故に墓所に棄ておかれたとしている。