守護正義論
守護正義論
しゅごしょうぎろん
一巻。
日奥(一五六五-一六三〇)慶長四年一二月著。
慶長四年(一五九九)一一月二〇日、世にいう大坂対論において日奥は敗論となり流罪を申し渡されたが、翌年六月津馬に配流されるまで、暫時丹波の小泉に
逼逼塞させられることとなり、その小泉の小庵において同四年一二月極寒の雪中「国主謗者なれば讒言を納めて理不尽に重科に行はれ遠島の左遷に定めらる。
仍て万人の疑網を開かんが為、一論を造って謗法の源定を顕はし謗者の邪難を摧いて宗旨の正義を示」さんが為に「遺弟の形見」として述作されたのが『守護正義論』である。
本書は述作由来を陳べた序分と三一番の問答とから構成されている。
問答は問者の第一問「本化所立の法華宗は何なる制法を以て宗旨の依憑と定むるや」を主疑として展開される。
答者である日奥は「他宗の供養を受けず他宗に施さざるを以て宗義肝心の制法と為し」真実の供養とは内に法理を信じることに依って歓喜踊躍し、外に供養を展べることであると答え、他宗の供養を義に当らないとしている。
第四問答では、国主の供養を嫌う理由として、三界の主は釈尊一人であり国主これに背くとき法華経の行者は身命を顧みず国主を諫暁すべきで、さもなくば不知恩の者となり謗国の咎に当るとしている。
ところが世間の法師は「諂曲にして仏法の邪正を糾さず。
専ら国主に諛ひて未だ曽て一句の諫言を入れず。
剰へ仏祖の掟を破り放逸熾然にして只悪意悪逆を事とす」る有様である。
日奥は此の義を顕さんが為「国難を顧みず、度々奏問を遂げ諫暁再三に及」び謗国の咎を免れたとしている。
以降、問答は「理性不二」と「事相而二」の問題、「適時而已」の釈、「取捨得宜」の所判解釈の相違から摂折二門の用否を論じ、三一番の結答において「世間仏法正理を立てて時の横難に値ふ事は上古猶之を脱れず」「予亦仏祖の遺誡に任せて流罪に及び乃至種々の大難に値ふ。
経文若し真実にして先聖の所行理に契はば予が面目時に当つて天下に比類なきか」と自らの行動を位置付け総括としている。
《『万代亀鏡録』上巻》