円融三諦
円融三諦
えんゆうさんたい
天台教学において、釈尊の説法を分類するのに、五時八教という教判をたてるが、そのうちの化法の四教に、蔵教・通教・別教・円教の異なりがある。
このうちの円教にとかれる三諦をいう。
また不次第の三諦・不思議の三諦ともいう。
四教のうち三諦をとくのは別教と円教においてのみ(通教は含中の教えといわれる)であり、別教においてとかれる三諦は、円教の円融三諦に対して隔歴の三諦、または次第の三諦といわれる。
三諦とは空諦・仮諦・中諦をいうが、次第の如く、真諦・俗諦・中道第一義諦。
または無諦・有諦・中道第一義諦ともいう。
従来これらは三諦の同義語として取扱われているが、そこには種々と検討すべき事柄があり、後の二者は直接『菩薩本業瓔珞経』または『仁王般若波羅蜜経』による所説と考えられ、空諦・仮諦・中諦といわれる場合には、『中論』第四観四諦品の偈に「衆因縁生法、我説即是無、亦為是仮名、亦是中道義」と述べられたことに直接的な関係をもって天台教学に展開したものと考えられる。
天台宗初祖の天台大師智顗(五三八-五九七)の教学には空・仮・中という用語はあっても、空諦・仮諦・中諦という言葉はない。
従って智顗の教学において、三諦円融がいわれる場合(例えば玄義の境妙)、その三諦は、有・無・中か真・俗・中のいずれかであった。
大宝守脱(一八〇四-八四)はその著『法華玄義釈籖講述』巻一上に、円融三諦を説明して、空には破有・立空・破立不二があり、仮には破空・立有・破立不二があり、更に中には雙遮二辺・雙照二辺・遮照不二とがあり、三諦が相互に他の二諦の契機を性具する故に三諦は円融なりと説いている。
これを換言すれば、空諦には破有(空)と立空(仮)と破立不二(中)とがある。
また仮諦には破空(空)と立仮(仮)と破立不二(中)とがある。
更に中諦には、双遮(空)と双照(仮)と遮照不二(中)とがある。
そして三諦に皆三ある面のその内の空の面をとって、三皆破情の故に三諦倶空といい、三諦は空の一である。
またその内の仮の面を指して、三皆立法の故に三諦倶仮といい、三諦は仮の一である。
更にその内の中の面をとって、三皆絶待の故に三諦倶中といい、三諦は中の一であるとのべ、三即一、一即三で三諦は円融するという。
この考え方は、しかしながら智顗の教学には未だ叙述されていない。
智顗にあって主流をなす円融論は三諦円融よりも、むしろ三観円融にあり、それは『摩訶止観』巻五にとかれた一即一切義に基づく、総空観・総仮観・総中観であったと考えられる。
即ち観法(修行方法)として説かれた即空・即仮・即中が、後世、守脱が解釈するような三諦円融論に展開したものといえる。
《『遺文辞典』教学篇「円融三諦(えんゆうのさんたい)」「三諦」の項、『日蓮辞典』「三諦」の項、『天台学辞典』「円融三諦」の項》