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仏跡カピラ城発掘

ぶっせきかぴらじょうはっくつ #535

仏跡カピラ城発掘

ぶっせきかぴらじょうはっくつ

釈迦の父浄飯王の居城カピラ城の比定地として、立正大学とネパール王考古局が共同して行ったネパール王ティラウラコツトの調査発掘をいう。
ティラウラコット遺跡はルンビニー州タウリハワー町の北西約三・二キロに在存する南北五〇〇メートル東西約四五〇メートルの南北に主軸を有する長方形状を呈するもので周囲にレンガの壁が形成されている。
明治三四年(一九〇一)ムケルジーにより、推定カピラ城址ティウラウコット説はすでに提起されていた。
しかし計画的な考古学的発掘調査が不十分であるため、諸説鼎立して決定困難の実情にあった。
そこで昭和四一年(一九六六)から、翌年にかけて、立正大学中村瑞隆仏教学部教授の首唱により、大村肇(地理学)、久保常晴(考古学)、坂詰秀一(考古学)が共同して現地巡検調査を行うことを決定し、中村、大村、坂詰の三教授に中村教授の旧友でカピラ城祉探究に関心と熱意を有していた松井大周(当時静岡県了仙寺住職、費用一七〇万円負担)を加え四一日にわたって調査を実行した。
その結果、かつてムケルジーが主張していた如くティラウラコット遺跡が経典の記述、入竺中僧の記録及び環境地上考古学的調査の対象として極めて重要であることの認識を強めた。
昭和四一年一二月二三日共同の発掘の合議に達したのでネパール王考古局長R・Jタッパと立正大学代表中村瑞隆とのに覚書を交して、期五ヵ年(翌年より実施)、費用の分担、発掘器材、チーム編成及び終了後レポートの出版、出土品の分配に関する基本条件に加え、巡拝者への遺跡整備解放等の取決めを行った。
かくて昭和四二年一〇月一九日前記覚書に基づきネパール政庁においてネパール考古局長R・Jタッパと立正大学学長代大村肇とのに正式協約(末尾参照)を締結した。
一一月二三日現地において宗務総長片山日幹による鍬入式が行われ翌四三年二月一〇日まで第一回の調査発掘が行われ、遺跡実測図を完成し、遺構の検出を可能にした。
爾来第二回(四三年一一月-四四年二月一〇日)、第三回(四五年一二月一日-四六年三月三一日)、第四回(四六年一一月-四七年三月)の調査発掘を経て五ヵ年の契約期を終了した。
この立正大学学長菅谷正貫より期間延長の申入れを行い合意が得られたので昭和四八年三月三日立正大学において松井大周、片桐海石両宗会議員立会のもとにネパール国代表タッパ考古局長と立正大学代表菅谷学長、理長(下宮高俊も署名捺)とので更に五ヵ年の共同発掘を契約した。
第二次の発掘調査は立正大学の指導により、主としてネパール側が発掘に当り出土品の整が行われた。
この両次に亘る成果は立正大学より出版された『ティラウラコット』報告図版篇に発表されているが続いて予定されている解説篇で、より詳らかにされるであろう。
土器、人骨、古銭、装身具等多くの出土品を見ることができるが、七号丘の発掘によるN・B・P(北方黒色磨研土器)の出土は、仏陀代の遺跡であることを示し、同に城塞遺跡の検出は、カピラ城究明に一歩進めたものとしてこの共同発掘はその意義を認められている。
中村授は大学側の発掘責任者として総括的な指揮を執り、特に教史的な立場から究明に当り大村教授は地形、還境等地理学的立場から協力し、久保教授は坂詰教授を補佐役として第一次から第八次にいたる全次の発掘に学生野村幸希・加藤邦雄・阪田正一・上坂悟らを現地指揮し、この発掘調査の成果を高めた。
ティラウラコット報告図版篇刊行に際し、中村授は「ティラウラコット遺跡の発掘はその地が城塞遺跡であることを再確認すると共に釈尊代に遡るべき遺物を埋蔵している遺跡であることを明らかにすることができた。
(略)われわれのささやかな調査結果が今後におけるカピラ城祉探索の一つの捨石になれば望外の幸せである」と述べ坂詰授は「今後におけるカピラヴァスト究明の資料として評価されることは疑いないであろう」と結んでいる。

 ネパール政府考古局・日本国立正大学間ネパールタウリハワ・ティラウラコット発掘に関する協定  ネパール政府考古局と日本国立正大学はネパール国ティラウラコット発掘について互いに協力を熱望し、次のごとく同意した。

一条 ネパールタウリハワ・ティラウラコットの発掘に立正大学は考古学者、地理学者、学者、写真技師、医師を含む一〇乃至一五人の調査団を派遣する。

二条 ティウラウコットの発掘はネパール政府考古局、立正大学の各分野の専攻学者より成る連合調査団が実施する。

三条 (1)立正大学は発掘作に必要な全資材・用具を準備する。
(2)ネパール政府考古局は局管の用具の使用を随許可する。

四条 (1)両者はそれぞれ所属調査団員の費用を負担する。
(2)発掘の実施に当り必要な全費用は立正大学が負担する。

五条 (1)ネパール政府は発掘される全ての遺物・遺構の所有権を有する。
遺物・遺構とその目録はネパール政府の担当官が保管する。
(2)ネパール政府は若し立正大学が望むならば両国および両国民の友情の“しるし”として遺物の若干を立正大学に贈呈する。

六条 この協定に基づき調査する立正大学の調査団員はネパール内において人身および財産の保護をうけるが同時に、一般外人に適用されているネパールの現行法規・条令を遵守しなければならない。

七条 ネパール政府は、この発掘業に関しネパールに搬入され、貨財・資材・用具・械類はいかなる種類の課税も免除されることを保証する。

八条 (1)この発掘業の終了後、日・英両語で書かれた詳細報告書を公表する。
その費用は立正大学が負担する。
(2)立正大学は発掘地域の保存・維持に必要な全費用を負担する。

九条 (1)本協定は調の日より発効し、三ヶ月以前に両者の中の一方より文書を以てする解除予告によって終結されなければ、更に五ヶ年有効に存続する。
(2)この協定は相互の同意により改訂もしくは継続される。

 以上の証左として、この目的のために正式に権限を与えられた調者がこの協定に調した。
調の場処、一九六七年(ネパール紀元二〇二四年) 月 日ネパール語・英語両語にて文書化し、両文書共同様に正式に認証される。

 ネパール政府考古局代表者氏名 日本国立正大学代表者氏名
《坂誥秀一『教考古学典』雄山閣》

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