首楞厳経
首楞厳経
しゅりょうごんきょう
『首楞厳経』と略称される経典には二種がある。
一は詳しくは『仏説首楞厳三昧経』二巻。
この経は早くから中国に訳され、九訳あったといわれるが、現存しているのは後秦鳩摩羅什(三四四-四一三)訳のみである。
経名の首楞厳三昧とは梵語の音写で「十地の菩薩たる健士に到る等持」の意味である。
本経の内容を大観すれば八相成道を示して、而も涅槃に入らないのは如何なる三昧によるべきかという堅意菩薩の問に対し、首楞厳三昧こそがそれであると説き、この三昧は十地の菩薩のみ得るところであり、これに住すれば挙足下足、念々常に六波羅蜜あり、この菩薩を見聞する衆生は皆度脱を得べく、一切法において無所住なるに至って、初めてこの三昧を得るというのである。
本経は上下二巻の小経であるが、他の重要なる大乗経典に関係する所多く、経典史上、重要な地位を占めている。
般若の空観を通して、その妙用を現す故『般若経』を予想することは勿論であるが、その他に『十地経』『維摩経』『法華経』と深い関係を有している。
『十地経』との交渉を見るに、既に経名そのものが菩薩の十地を予想しているし、『維摩経』における維摩居士の妙行は本経では種々の菩薩、天子らの妙行として現れている。
また『法華経』との関連を見るに、三乗調和の傾向と授記思想とがあり、仏陀観では寿命極長を主張し、菩薩観では声聞と雖も成仏する故に、一切の人を尊重し、首楞厳三昧を得た菩薩が種々に身を現じて衆生を教化するところに妙音・観音等の菩薩を想起せしめるのである。
二は詳しくは『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経』一〇巻といい、唐の般刺蜜帝(七〇五)訳で本経全体に亘っての主眼となっているものは、摂心によって菩提心を了得し、真淨の妙心を体得することである。
これによって後世禅僧に尊ばれた。
《『遺文辞典』歴史篇「首楞厳経」の項、『大蔵経全解説大事典』「〇六四二・仏説首楞厳三昧経」「〇九四五・大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」の項、『大乗経典解説事典』「三昧部」、『仏書解説大辞典』「首楞厳三昧経」「大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」の項、『岩波仏教辞典』「首楞厳経」の項》