金沢千部布教
金沢千部布教
かなざわせんぶふきょう
毎年五月、金沢市において寺町組、卯辰組の両方に分かれて奉行される千部会に、法要後行われる高座説教をさしていう。
この金沢千部会の歴史は古く、卯辰五十ヵ寺では元和三年(一六一七)に加賀藩主二代前田利長の養女・理松院殿寿貞大姉の一週忌法要が営まれ、そのとき加賀藩より法華千部読誦会を修するよう懇請されたことに始まるという。
それより一五〇年後、明和三年(一七六六)卯辰五ヵ寺が合同して千部会を奉行したのが現在にいたっている。
その五ヵ寺とは妙国寺・全性寺・蓮覚寺・妙泰寺・蓮昌寺である。
寺町組は卯辰組より遅く、文化三年(一八〇六)に始まり、卯辰五ヵ寺に対してこちらは立像寺・高岸寺・妙典寺・妙法寺の四ヵ寺である。
このように永い歴史と伝統をもつ金沢千部会は石川県における日蓮宗の名物的な一大行事ともなった。
元講中という世話方があって卯辰、寺町組共それぞれ五日間、合計一〇日間にわたる法要が運営されたのであるが、昭和二〇年(一九四五)の第二次世界大戦後は諸般の事情から、それぞれ三日間ずつ、合計六日間に短縮された。
千部とは百人の僧侶が一日に法華経一部八巻を読誦し、一〇日間に千部読誦することから千部会の名が付せられたのである。
住職ばかりでなく、多くの沙弥や修行僧も列座して、音吐朗朗、読誦して、その名読を競った。
優陀那日輝和上はわずか一三歳にして、すでに抜群の名読ぶりを示し、大いに衆目をひいたと伝えられている。
この千部会と一般にいわれる法要は、単に読経のみでなく、講経談義を含むものとして、参詣の善男善女に説教法話をするのが慣わしであった。
金沢千部会もそれであって、登高座の布教師は全国一流の布教師といわれる人であった。
現在にそれが続いている。
檀家信者は金沢市内のみならず、周辺の農山村から「千部参り」といって、草餅など作って繰り出し、春の農繁期に小休止して信仰にはげみ大いに賑うのである。
因みに千部は一般に天地静寧、五穀豊饒を祈念するのが本旨であるが、この金沢千部会には、永代一日施主の制が合わせて設けられ、永代経として回向供養をするようになり、今日に至っても続けられている。