社頭諫言(脚本・田中智学作)
社頭諫言(脚本・田中智学作)
しゃとうかんげん
田中智学の書いた聖史劇の脚本。
昭和二年(一九二七)の帝劇一〇月興行に上演すべく依嘱をうけて同年九月に執筆したもの。
松本幸四郎の日蓮聖人のほか、日朗に守田勘弥、桟敷の嫗(うば)に尾上梅幸、四条金吾に市川左団次、平左衛門に尾上幸蔵が扮した。
一幕三場の構成。第一場は鎌倉市街(大町辺)、第二場は鶴岡八幡社前(赤橋前)、第三場は琵琶小路付近。
時は文永八年(一二七一)九月一二日、即ち竜口法難に際し、鎌倉市中を引回しの途中で幕府の信奉する鶴岡八幡の社前を通過する時に、八幡を諫めた場面を描いたもの。
「八幡大神への告別に託して、刑の執行官たる平左衛門尉頼綱を面折(めんしやく)し、因(よ)って幕府の失政を極諫せる壮快の史実」を骨子として脚色することを作意としている。
第一場は、日蓮聖人引回しの姿を見ようと集まる鎌倉大町の群集の声にはじまり、世界救護の大恩人である師のご房に何の罪があると昂奮し狂ったように武士に迫る日朗と同じく涙を流す桟敷の嫗の前に登場した日蓮聖人は、本懐に達する時になったと語り、「いかにも。
これにて、日蓮の身は、全く法華経となり申した」と述べる。
桟敷の嫗は『弟子檀那略縁起』および『常栄寺誌』の伝を参照して脚色しており、牡丹餅を作って日蓮聖人に献げた老婆とする伝承とは相異して、将軍惟康(これやす)親王の生母宰子の義兄弟の妻に当る相当地位ある身柄の人として設定されている。
第二場は鶴岡八幡宮社前における八幡大菩薩への「至誠をこめた最後の言上、至誠を照す神との応対」の場面を写し出している。
その要旨は日蓮聖人の言葉に拠っているが、用語を通俗化しているほか八幡への諫めに托しつつ平頼綱に向って幕府が下剋上のかたまりであるとの指摘に比重をおいている。
第三場は日蓮聖人と四条金吾との別れの会話を中心としている。
日蓮聖人遺文の言葉をほぼそのまま引用し、法華経のために悦んで命を献げていく師弟の約束を示している。
聖人伝記の精神を活現し芸術を通して、その大慈悲を演出しようとした国性劇のうち、小作ながら代表的脚本の一つとしてあげられる。
《『師子王戯曲篇』一(『師子王全集』)》