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本門心底抄

ほんもんしんていしょう #3512

本門心底抄

ほんもんしんていしょう

一巻。
三位日順(一二九四-一三五四)の著。
『宗全』二巻所収。
元来は『心底抄』であるが「本門」の二字を冠せたのである。
これは富士門流における聖教尊重の慣習による。
本書は三時弘経の次第を述べ、次に末法における弘経の師は地涌の大士、神力別付、上行応化の日蓮聖人、所依の法は上行付嘱、宣示顕説の妙法蓮華経の五字であると説き、妙法五字には本門の本尊大曼荼羅と戒壇と題目があり、末法の貴賤、上下悉く大曼荼羅本尊を礼し、利鈍の男女同じく題目を唱えれば無始の罪障を消滅して即身成仏する。
だからこの本尊大曼荼羅一念三千十界互具を紙上に顕して拝することができるから事の法門であり、止観はこれを己心に観ずるから理の法門である。
次に戒壇については小乗の戒壇、叡山の迹門の戒壇があるから、本門の戒壇は当然立てらるべきである。
戒壇建立の時、仏像の安置は本尊図、曼荼羅の如くし、戒壇の方面は地形によって定める。
主が信状して造立のが到来したならば智臣、大徳が群議して場所を定めよ。
あらかじめの場所を選定することは後難を招くであろうと事壇建立と造像の指示はするが建立の場所は群議の選定によるといって場所を定めていない。
これによれば日順のころにはまだ富士戒壇建立説が論ぜられていなかったことが分かる。
本書は貞和五年(一三四九)五六歳、甲州下山の大沢草庵で執筆したもので、文中眼病を患ったことがしるされている。
ち若年の頃より眼病を病み、元徳元年(一三二九)三六歳の一眼の明を喪ない、建武三年(一三三六)四三歳、残る一眼をも失ったことが述べられている。
なお日順は文和三年(一三五四)六一歳、大沢草庵において没している。

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