妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

本妙寺(熊本県熊本市)

ほんみょうじ #3381

本妙寺(熊本県熊本市)

ほんみょうじ

熊本市に所在。
法性山のち発星山と号す。
六条門流
正一三年(一五八五)加藤清正現当二世のため、また加藤清正の父・清忠の冥福を祈るため、摂津の浪華(現在の大阪)に瑞竜院を建立したのにはじまる。
開山発星院日真(-一六二六)。
正一六年清正肥後の領主に封ぜられ、慶長五年(一六〇〇)熊本築城に当り、瑞竜院を熊本城内に移し、この年に本妙寺と改称した。
慶長一九年炎上焼亡、寺主日遙、国主加藤忠広と清正の廟所中尾山に移すことを計り、元和二年(一六一六)落慶遷会を営む。
これが現在の寺地で、清正公(せいしようこう)さんの名称で親しまれている。
慶長一〇年後陽成勅願寺の論旨を賜り、永代紫衣を勅許。
慶長一六年本山本寺日桓同門の九州総本寺に補す。
翌年、主忠広寺領その他寄進米等約六〇〇石を宛行う。
寛永九年(一六三二)加藤改易に際し、寺門相続を危ぶまれたが、当住日遙よくつとめ、将軍家光新国主細川忠利にその相続につき内命、細川家また寺領三〇〇石・隠居料一〇〇石を寄進、なきを得た。
この寺領高は細川家菩提所妙解寺と同高で、細川の尊崇の程を示す。
三世日遙は、清正一周忌に当り法華経一部を書写、霊前に捧げその追善に資し、翌三周忌に一山大衆これをたすけ一夜にして法華一部の写経を行った。
これが本妙寺の大祭頓写会(とんしやえ)(七月二三日夜-二四日朝)の始まりである。
ことに清正公信仰の興隆と庶民層への浸透に伴いその信徒は全的に広がり、幕末において産第一と称された。
明治維新に至り、清正公の神祭を命ぜられ、一廟所は神社とされたが、程なく還附された。
直末・孫末は加藤時代に一六ヵ寺・細川代に二六ヵ寺・明治以降六ヵ寺、計四八ヵ寺を数え、肥後を中心に肥前・豊後に亘っている。
また歴世中に日真・日遙を始め本住日選・一妙日導・不染日亮・智勇日進・雷雲日轟らの人材を輩出し、西日本における日蓮宗弘通の一大中心をなした。
所蔵する寺宝に曼荼羅御本尊、『上野殿母尼御前御書』(富木常忍宛て『止観第五之事御消息』で上野尼宛ては誤題)等の聖人真筆の宗宝五点、国指定の重要文化財「日本紀竟宴和歌」上下二巻、同三池典太光世の「短刀」(細川斉茲寄進)等を始め秀吉・清正の遺品・県指定の文化財を含め数百点があり、その一部は宝物館に展観してある。

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