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日題(蓮華院)

にちだい #3197

日題(蓮華院)

にちだい

(一六三三-一七一四)
字は信順、初め残隆院日隆と称したが、のち蓮華院日題と改めた。
京都の生まれ。
一一歳で出家し、心性寺開山心性日悟に師した。
一三歳のとき関東野呂檀林に学び、二五歳で心性寺二世を嗣ぎ律師に任ぜられた。
池上日樹系を汲む不受論者として日題は、初め平賀日述等と志を同じくしたが、かの寛文法難に先だち、小湊一八世日延の謗法問題をめぐって日述一派と袂を分ち、独自の行動をとるに至った。
寛文七年(一六六七)四月『日延謗法目安抄』を著して日延の不受義を論じた。
同九年五月京洛外の不受派に悲田手形の命が達せられるや、日題はこれに対して、悲田の儀は聖人の清規を穢すものであるとして江戸に上訴し、悲田派を排撃した。
同年八月には『三根問答』を著して、法難に処する態度によってその信仰に三根の不同あることを論じ、不受檀越の不退転を策励した。
更に翌一〇年には『悲田破十六箇条』を著して、日明の悲田義に対する非を論じ、自ら出寺したのである。
また延宝四年(一六七六)には真迢の『禁断日蓮義』に対して『中正論』二〇巻をもってこれを破折した。
元禄四年(一六九一)日題は京都より追放された。
に五九歳であった。
しかし翌五年には『閑邪陳記』五巻を著して乗誉の『増上縁義咄』を破し、次いで『断邪顕正論』五巻を著して了海の『摧碾再難条目』を破すなど意気盛んなるものがあった。
元禄一五年には『録内啓蒙評』を著して日講の『録内啓蒙』を評し、また『安心録評』を著して一音日暁の『法華安心録』に批評を加えた。
京都追放後の日題はこのように著作を続けながら諸を流浪し、正徳四年六月二四日、八二歳をもって寂した。
日題にはこの他著作多数があるが今日伝わらないものも多い。
日題の門下に信寧日静、温恭日慎、哲心日好、智眼日勤、文雅日要らがあり、就中、日慎がその法燈を嗣いだ。
関西において日題の門流は日題派として盛んであった。
《宮崎英修『続・日蓮宗の人びと』、『日本仏人名辞典』「日題」の項》

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