日蓮と基督(高山樗牛著)
日蓮と基督 (高山樗牛著)
にちれんときりすと
高山樗牛の著作。
明治三五年(一九〇二)五―六月に書いた。
日蓮聖人の偉大さは、ひとりキリストの偉大さに比べられるのみ、との立場から仏教とキリスト教との特色にふれつつ日蓮聖人とキリストの比較について論じたもの。
しかし単なる比較論ではなく、キリストを鏡とすることによって、日蓮聖人が大いなる宗教家として人類の救済を目的に活動した点を明らかにしている。
その主要な内容を次のごとく記述している。
(1)日蓮聖人とキリストとは、純潔なる心と勇猛にして大胆な意志を有し、現世以上に理想世界の実在を認め人間霊性の醇化によって理想世界の実現に努めた。
日蓮は鎌倉の殿中にて「日蓮王土に生れたれば、身をば随へられたてまつるやうなりとも、心をば随へられたてまつるべからず」(定一〇五三頁)と宣言した。
これは霊性の支配下にいかなる人も国をも征服し君臨し審判した霊性の支配すなわち神の物は神に帰えせよという意味を持っている。
(2)両者は出世の因縁に関しても類似している。
キリストは聖者が東方に出現して天下を動かすとの預言に応え、日蓮は上行菩薩が末法に現れるという仏の預言に応じて東北有縁の小国・日本に出現した。
(3)両者は預言者は故郷にいれられないと知りながら故郷に真理を唱えんがために帰り「彼は狂せり」と言われつつ超世の大理想を抱き真理を証明した。
日蓮が自らを日本国の主・師・親なりといい法華経の妙理を弘めるためにこの土に降れりと述べたのはこのことをさしている。
(4)両者は高僧学者等を批判し、地上の一切の所有物や権力を否定して真理に殉ずる精神的気魄を発揮した。
次にキリストと日蓮聖人との相違点については次のように指摘した。
(1)キリストは学理を説かなかった一無学者であるが、日蓮の学智は古今に抜き出ており学殖は豊富であり両者の性格も正反対であった。
(2)キリストは情に訴える布教を先とし、日蓮は理をおさむることを旨として邪義を破し智の門より真理を認識させんとした。
山上の垂訓の感情的・直覚的なのに比べて日蓮の四箇格言は理論的・思弁的である。
奇蹟よりも道理を主としている。
布教の場所もキリストがガリラヤ湖畔の漁夫等であったのに対し日蓮は鎌倉幕府の中央において天下の碩学名僧の注視する間に法鼓を鳴らした。
(3)キリストは反対者に向っては正面攻撃をさけ機智をもって悔悟を促がす態度をとったが、日蓮はいかなる場合も正々堂々と論陣をはり天下に向って法論の対決を求めた。
以上のような共通点と相違点をあげ外面の比較を通してそこに伏在する偉人そのものを看取せしめようとし、キリストを知って日蓮を知らない者の多い現状を打破しようと試みたのが本書の特色である。
《『高山樗牛全集』四巻》