日台(宮内卿・身延久遠寺)
日台(宮内卿・身延久遠寺)
にちだい
(一三二一ー六六)
身延山第五世、身延梅平鏡円坊開基、諱は日台、字は鏡円、宮内卿と号す。
元亨元年に甲斐(山梨県)波木井郷南部信濃守長氏の子として生まれ、幼名を春乙丸といい、日蓮聖人直檀波木井実長の曽孫に当る。
幼少より神童の誉れ高く、自ら仏道修行を発心、身延第三世三位公日進の門に入り、次いで第四世大進公日善に師事す。
元弘二年(一三三二)日善の法嘱をうけ身延第五世の法灯を継承す。
ときにわずか一二歳であった。
生来勉学孝究の念が強く、比叡山に登り修学することを決意し、一山の後事を西林院日賢に託して刻苦修学九ヵ年、業成って帰山して一山を督すること二六年にわたった。
日台には一説話が伝えられている。
たまたま正平二年(一三四七)霊夢によって、身延鷹取山麓の西谷の地は狭隘のため、西谷より梅平の地に九輪塔を中心として堂宇を移し、堂塔輪奐の荘厳美を感得したという。
この感得した霊夢は機が熟さず実現にはいたらなかった。
後年第一一世行学日朝によって久遠寺を西谷から現在地へと移築したものをもって実現したとする。
日台の霊夢感得した九輪塔建築の地には、氏神鎮守八幡社を建立し、梅平南部氏舘邸を改修して宝聚山鏡円坊となす。
他に上塩沢に杉之坊(武井坊に併合)を開創した。
貞治五年三月七日両親に先立って遷化。
寿四六歳。
著書に『禅宗事』一巻、『祖書三大部見聞』一巻ありと伝える。
《日潮『本化別頭仏祖統紀』、久遠寺蔵『身延山歴代略譜』、『身延山史』、宮崎英修『不受不施派の源流と展開』、『日本仏教人名辞典』「日台」の項》