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断惑

だんなく #2371

断惑

だんなく

「だんわく」とも。
惑を断ずること。
惑とは煩悩。
天台宗では惑に見思・塵沙・無明の三惑を立て、円教の断惑は五品・十信の位で見思・塵沙を断じ、初住以後の四十二位で無明を断ずると一往は立てるが、再往の法華円教の真面目は三道即三徳であるから、惑をかえって般若の智恵の証得の資助とするにある。
日本台の出発点もここにあり、更に真言宗の方でも三道という凡夫の現実をそのまま肯定すべく教理を組織したから、院政期以後の天台宗は之を継承発展させて本覚(→ほんがく)思想が勃興し、生死・煩悩をそのまま是認するなど、日本仏教は印度・中国の仏教のようには断惑を問題にしない。
従って日蓮宗も断惑よりも如説修行を専ら勧める。
しかし煩悩即菩提(→ぼんのうそくぼだい)だからといって、煩悩の問題を放置して、煩悩の趣くままに生活を営むのではの本来にもとることになる。
法華律の興起もこういう反省から生れたに違いない。
従って、煩悩を菩提に資するよう、悪をもに資するよう、努力を怠らないよう心掛けるべきである。
そこに即身成仏の道が拓ける。
身の身とは煩悩の聚集に外ならないのであるから。
《『遺文辞典』教学篇「断惑(だんわく)」の項、『岩波仏教辞典』「断惑」の項》

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