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彼岸会

ひがんえ #2077

彼岸会

ひがんえ

春分・秋分を中日(ちゆうにち)としてその前後三日の七日を春・秋の彼岸の節とし、この春・秋の彼岸のときに行う法会をいう。
彼岸に到るための法会という意味で一般には「お彼岸」と親しんでいう。
彼岸は梵語の波羅蜜多pāramitāの訳である「到彼岸」の略である。
「波羅は秦に彼岸と言い、蜜は秦に到と言う。
(中略)生死を以て此岸となし、涅槃彼岸となす」(『大智度論』第一二)。
すなわち、生死輪廻の此岸をはなれて涅槃常楽の彼岸に到達するという意味である。
とくに春分・秋分のときに仏事を営み、これを彼岸会というのは『観無量寿経』の日想観の説に基づいている。
すなわち春分・秋分には太陽が真東からのぼって真西に沈むところから、この日没の処を阿弥陀仏の浄土であると観じて、そこに往生の本願をとげるために、この時に仏事を行うのである。
この他、立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至の八王日は地諸神陰陽交代する日で、「この節に持斎して悪をしなければ増寿益算を得べし」(『法苑珠林』第八八、『浄土三昧経』)というに基づくという説、あるいは二月、八月の七ヶ日の間摩醯首羅天をはじめ大梵天王、太歳神等が夜摩と兜率天との中間にある天正樹下に集まって一切有情の善悪を校量するので、このとき彼岸作善の法を行うのであるという説(『彼岸功徳成就経』、『速出生死到彼岸経』)、また昼と夜との長さが等しいところから仏教の中道に合致するので、この日に法会を行うとする説など諸説がある。
彼岸会は古来からわが国で始められた行事で『日本後記』一三、大同元年(八〇六)三月辛巳に「崇道天皇光仁天皇の子早良親王の奉為(ため)に諸国国分寺の僧をして春秋二仲月別七日、金剛般若経を読ましむ」とある。
明治一一年(一八七八)六月以降春分を春季皇霊祭、秋分を秋季皇霊祭としていたが、現在では昭和二三年(一九四八)七月より「春(秋)分の日」とよんで民の祝日としている。
彼岸の期間中各寺院では彼岸会の法要を営み、人々はこの間に先祖の墓参りをする者も多く、また彼岸団子やおはぎをつくって各家々の仏壇に供えたりする。
彼岸の初日を「彼岸入り」、終りの日を「彼岸明け」という。
《『広説仏教語大辞典』「彼岸」の項、『新版仏教学辞典』『岩波仏教辞典』『国史大辞典』一一巻「彼岸会」の項》

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