宿善
宿善
しゅくぜん
宿世の善根の意。
前世、過去世に植えた善根功徳をいう。
法華経信解品には「諸の衆生の宿世の善根に随い、又成熟未成熟の者を知しめし、種々に籌量し分別し、知しめし已って、一乗の道に於て宜しきに随って三と説きたまう」とある。
この過去世に植えた善根の種が、今生の善い縁によってひらき出されることを「宿善薫発(しゆくぜんくんぼつ)」という。
日蓮聖人は法華経との値遇や自身への帰依に対して宿善の善果を讃嘆する。
「法華経流布の国に生れて此の経の題名を聞き、信を生ずるは宿縁の深厚なるに依れり」『守護国家論』(定一二七頁)、
「仰も各々はいかなる宿善にて日蓮をば訪はせ給へるぞ」『三三蔵祈雨事』一〇七二頁)、
「かゝるよに、いかなる宿善にか法華経の行者をやしなわせ給ふ事、ありがたく候」『上野殿御返事』一五九頁)
など用例も多い。
なお浄土真宗では宿善の有無を重要視し、無宿善の者は教法を開く機会を得がたく信仰を得ることは困難であるとする。
しかし乏しい宿善も開発すれば信仰を得て往生することが出来ると説く。
また真言宗でも宿善を重んじ、宿善によって成仏を得ると説く。
《『遺文辞典』教学篇「宿善」の項》