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三山輪番制

さんざんりんばんせい #161

三山輪番制

さんざんりんばんせい

三山とは、関西における日蓮宗の本山(由緒寺院)である頂妙寺・本法寺・妙寺の三寺のこと。
ち、頂妙寺は京都市左京区仁王門通りにあり、中山法華経寺の僧日祝が開いた。
本法寺は同じく京都の上京区小川通りにあり、日親の開創で、本阿弥の外護によって栄えた寺である。
また妙寺は、堺の豪商の出身である日珖が一族の外護を得て開いた寺であり、堺市材木町にある。
この三山の住職が交代で千葉県中山の法華経寺に入り住職を務めたので「三山輪番制」という。
ことの起りは、豊臣秀吉が下の統一をなし教擁護の政策を打ち出した頃、中山の法華経寺では寺門興隆し大いに発展したが、一〇世日俒に至り、極めて放逸の振舞いがあり周囲の非難を浴びる結果となった。 このことを伝え聞いた妙寺の心院日珖は、寺門の名誉を思い来寺して日俒に隠退するよう強要した。 その後へ日典が入って一一世となったが、これがまたその職を怠り、寺宝を散逸させる恐れが生ずるにまで及んだ。 そこで再び日珖が出向き諌言したが聞き入れないので、関東の実権者たる徳川康に訴え、これを長門(山口県)萩へ放逐した。 文禄二年(一五九三)のことである。 日珖は命により法華経寺の住持となるになっていたが、本法・頂妙・妙国の三寺をもって輪番で交替に中山の主たらしめることを決めた。
日珖は慶長二年(一五九七)中山に入り寺門の一新を図ったが、翌三年八月六七歳で遷化した。 そこで「三山輪番制」に従って、日珖の弟子の瑞雲院日暁が頂妙寺から一三世として入山し法灯を継いだ。 その後、一四世には同じく日珖の弟子の功徳院日通が本法寺から入って住職となり、「三山輪番の制」が実施され、中山を永世護持発展させた。 また一五世には日珖門下の仏眼院日統が妙国寺より入山し、中山は日珖の学系によって逸材が相次いで住職となり、中山の面目をたもち、指導的な立場をとっていくことになる。
《『身延山史』、立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上、影山尭雄『日蓮教団史概説』、宮崎英修『不受不施派の源流と展開』》

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