十二鬼神
十二鬼神
じゅうにきじん
『囉嚩拏経』に一二鬼神(女)の名が出ている。
法華経普賢品に魔・魔子・魔女・魔民・魔所著・夜叉・羅刹・鳩槃荼・毘舎闍・吉遮・富単那・韋陀羅などが諸の人を悩すと説かれている。
優陀那日輝は『妙経宗義鈔』、『勧発品妙観儀軌』等に、悪鬼魔障を攘い、生死即涅槃の信解に安住して十二因縁を離るる事を説くと述べ、十二鬼を十二因縁に配して遠離せんとする。
魔は諸悪の本で諸苦の本である無明の如し。
魔子は魔の所生で、魔に随って行ずる。
行は無明の所生で、無明に随って行ずるに同じ。
魔女は魔の所生でまた能生を成ずる。
識は過去の行の所生で、現在の法の本初であるのと同じ。
魔民は魔の所使で名色の名は主であり、色が所使であると同じ。
魔所著は六入が識所著であると同じ。
夜叉は捷疾と訳す。
速疾に諸の処に至ることができるのは、触が六塵の中において、まず触るるのと同じ。
羅刹は食人鬼という。
受は現在の果の終りで果とは攘と同じ。
鳩槃荼は魘魅鬼という。
人心をして壓塞睡熟せしめる。
即ち無明の盛りで愛が無明の増長を性とするのと同じ。
毘舎闍は啖精鬼という。
人類及び五穀の精気を啖う。
取の諸塵を取るのと同じ。
吉庶は起尸鬼といい、呪術に由(よ)って忽ちに死人を起し悩害する。
有は業が己に成じ、久しからずして死に就くのと同じ。
富単那は富多羅ともいい、熱病を司どる鬼で、生が熱気であると同じ。
韋陀羅は毘陀羅ともいい、厭祷鬼であるから呪詛をもって悩害する。
老死の衰滅するに同じであると説く。
斉藤義鑒『法華験家訓蒙』に「人は万物の霊なり。
何ぞ野狐毒竜に襲はるる事あらん、何ぞ魑魅魍魎に侵さるる事あらん」と世間一般の人々はいうが、十界互具一念三千の妙義を信解するならば、鬼魅の他身に託し、怨魂の人生に祟るも驚くに足らず、また「元来修験家に於ては頗る学匠に乏しきを以て法寇の侵襲を平ぐるの力なく、加ふるに今日の学解家大いに之を蔑視し、機を得て廃滅せん事を望めり」とまで極言している。