理行事行
理行事行
りぎょうじぎょう
理行とは修行者が心に観ずる自行を主体とした観念行で迹門の一念三千観法がこれに当る。
事行は修行者が三業にわたって修する利他行を主体とした実践行で本門の一念三千がこれに当る。
日蓮聖人は『富木入道殿御返事』に「一念三千の観法に二つあり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理也。今は事也。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千也。天地はるかに殊也こと也」(定一五二二頁)と述べ、一念三千に理事を分別し、天台・伝教の迹門の一念三千が理であるに対し、今の本門の一念三千は事であるとされている。
理・事が「天地はるかに殊」なるのは、事の一念三千には「大難又色まさる」ゆえである。
即ち迹門理行は行者の一念に三千法界を観ずる観念観法の修行であるに対し、本門事行は現実社会に法華経を実現するという具体的・現実的法華経実践である。
しかも末法における法華経の弘通には必ず大難が興起する。
『撰時抄』には三度の高名を「法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり」(定一〇五四頁)と述べられている。
このことは本門の一念三千が現実社会との関連の中にこそ実現すべき法門であることを如実に示している。
このような本門の一念三千が『観心本尊抄』の「事行の南無妙法蓮華経の五字竝びに本門の本尊」の意味であり、三業にわたる法華経修行をもって末法の行法とするゆえんでもある。
《『遺文辞典』教学篇「事行」「理行の題目」の項》