二十八宿
二十八宿
にじゅうはっしゅく
天球上の星座を二八に分けたものである。
古い時代の天文学に属していたのであるが、今これを天球上の東西南北に分けて、二十八宿の名称を挙げると、東には角・亢・氐・房・心・尾・箕の七宿。
北には斗・牛・女・虚・危・室・壁の七宿。
西には奎・婁・胃・昂・畢・觜・参の七宿。
南には井・鬼・柳・星・張・翼・軫の七宿がそれぞれ天球上に分置されている。
この二十八宿の取扱いについて二つの見方が考えられる。
その一つは日蓮聖人は『開目抄』(定五三六頁)に「二十八宿来りて、二十八将となり」とあって、この二十八宿は法華経の行者守護の善神であり、即ち二十八善神である。
このことは祈祷修法にも引継がれていて、祈祷場荘厳のために法座の上に厳備されている界縄の「二十八宿幣」がそれである。
即ち二十八宿諸天の守護によって法場の邪気を払い、また迷霊の来るのを防ぐための善神とするものである。
もう一つの見方は『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』(以下『宿曜経』と呼ぶ)に代表される星占法で、人界天界の一切のことは天地あい反映して吉凶の相を現ずるとし、かつ星宿の運行によって人の運命も予見できるとした考えである。
現在祈祷関係は別として、一般に二十八宿といえば前記一の意味は殆ど考えられず、ただ占星の意味だけとなり、その上占星法のため各自の星宿の意味も時代相の影響を受け、原典の宿曜経にはないと思われる解釈も出てきているが、特に極端なものは「鬼宿」の図意である。
市販の暦には「大悪日なり此日は何事にも用うべからず強いて用いる時は命に障るべし云々」とあるが、宿曜経には「所作皆な吉なり中略皆吉祥にして福徳増長す」とあり、昔はこれに当る日を「鬼宿の日」と呼び、最上の善日としていたのである。
また暦に牛宿を加えないのは、印度の暦では「牛宿」は吉祥の時として毎日午の時(十二時)に当てている(宿曜経、景風註)ためである(『宿曜経撮要』)。
思うに「牛宿」は二十八宿中殊に力強く、かつ印度で神聖視されている牛の宿のため別格視されて、毎日の正午に配されて日には配当しないともいえよう。
《『遺文辞典』歴史篇「二十八宿」の項、『国史大辞典』一〇巻「二十八宿」の項》