本尊分与帳
本尊分与帳
ほんぞんぶんよちょう
正しくは「白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事=びゃくれんでしぶんにあたえもうすおふでのごほんぞんのもくろくのこと」。
白蓮とは白蓮阿闍梨日興のこと、御筆とは日蓮聖人自筆=真蹟を意味し、日興が日蓮聖人に申請し取り次いで受領し自身の出家・在家の弟子に与えた聖人自筆本尊の目録で、これを普通「本尊分与帳」と略称している。
日興自筆本は富士北山本門寺に現蔵、他に京都要法寺広蔵院日辰および北山本門寺日優の写本がある。
『宗全』「興尊集・興門集』に収めるものは、日興自筆本を底本とし、他の二本と校合したもの。
事書(ことがき)の下に「永仁六戊戌(一二九八)」と執筆年次を割り書きしている。
この年は聖人十七年忌に当たるので、これをまとめたものと思われる。
同じ年の二月一五日、日興は駿河富士郡(現・富士宮市)重須に聖人の御影堂・天照大神宮・法華本門寺根源を造立している。
明らかに十七年忌を意識してのことであり「本尊分与帳」もこうしたことの一環としてまとめられたにちがいない。
「本尊分与帳」には、元来の被授与者から他に伝領されたものを一、二記すが、それ以外は、本来の授与者について記してある。
日興は檀越を、俗弟子・女人弟子・在家人弟子に分け記載した。
在家人弟子のなかには、武士の家人や百姓と記される者があり、かつ「伯耆房御返事」(定一六七六頁)、「瀧泉寺申状」(同一六七七頁以下)と「分与帳」の記事とをつきあわせれば、この在家人弟子とは、百姓農民がほとんどになる。
従って日興は百姓農民を在家人弟子、武士を俗弟子として区分していたと考えられる。
女人弟子と記されるのは、俗弟子の後家尼四名・母尼一名および僧の妻一名、計六名である。
この俗弟子・女人弟子・在家人弟子を檀越として一括し、僧と檀越の数を国別に挙げれば(括弧内は檀越)、駿河八(三〇)・甲斐五(一五)・伊豆二(一)・武蔵一(二)で、僧一六名・檀越四八名、合せて六四名が聖人への日興の申し請いによって、自筆本尊を与えられていたことになる。
いま、これらの本尊の伝存状態を「分与帳」の記載順にみれば、次の通りである。
寂日房=京都本能寺(立正安国会編『御本尊目録』九二号、『富要』史料類聚二九三頁)、少輔公日禅=東京法道院・北山本門寺(「類聚」二三九・二八四頁)、南条時光=新曽妙顕寺(『目録』二六号・「類聚」二九二頁)、河合入道=西山本門寺(「類聚」二九〇頁)、高橋六(郎)兵衛入道後家尼=尼崎本興寺(『目録』三二号・「類聚」二九二頁)、曽根(小)五郎後家尼=京都本満寺(『目録』一〇七号・「類聚」二九三頁)、上野弥三郎重光(満)=京都妙蓮寺(『目録』九八号・「類聚」二九三頁)、熱原六郎吉主=京都妙覚寺(『目録』七六号・「類聚」二九三頁)。
以上八鋪が現存する。
日興門流以外の他門流の寺院に伝領されてきた理由は未詳。
恐らく日興門流系の寺院から流失したものを、聖人自筆の故に入手格護してきたのであろう。
現在、確認されている聖人自筆本尊は一二五鋪であり、そのうち八鋪(「分与帳」記載の約一二パーセントに当る)が確認されていることは、残りの五六鋪を聖人自筆本尊として加え、少なくとも聖人在世中に一八一鋪の本尊が図顕されたことを想わせる。
「分与帳」には僧俗の師弟・師檀関係が注記されている。
なかに授与の後に、日興から離れていった者やあるいは〈熱原法難〉の受難者についての注記もあり、更に甲斐波木井氏や日興の母方である河合氏関係者に多く与えられていて、血縁関係による伝播を考えさせるなど、蓮興二師在世中の弟子・檀越の状態および初期日興門流の状態を示すものとして「分与帳」の史料的価値は高い。
《堀日亨『富士日興上人詳伝』、高木豊『日蓮とその門弟』》
【補記】本書は「弟子分本尊目録」「弟子分帳」とも略称される。具称が「白蓮弟子分に与え申す(または「申し与う」)御筆本尊の目録の事」の意であるなら、「分け与える」と誤解を招く「分与帳」の略称は適切でないことになろう。
本目録に記された日興弟子分の総数は六六名であり、本間俊文氏の研究に基づき改めて内分けを示すと、僧弟子分二八名、俗弟子分一四名、女人弟子分七名、在家人弟子分一七名、計六六名。国別では駿河三九名、甲斐二〇名、伊豆三名、武蔵三名、相模一名、計六六名となる。このうち現存する本尊は前記の八鋪のほか、摂津日仙=東京常泉寺(『富要』八巻一七八頁)、郷公日目=桑名寿量寺(『目録』六〇号)、富士上野新五郎=讃岐本門寺(『目録』一〇五号)、富士下方市庭寺弥五郎=京都妙覚寺(『目録』八四号)の四鋪が確認できる。本目録記載の六六幅のうち一八パーセントに当る一二幅の日蓮聖人自筆本尊が現存していることになる。この比率を立正安国会『御本尊集』所載の現存一二七幅に準用すると七〇五・六となる。これをもって日蓮聖人自筆本尊の総数の一つの目安と考えることもできよう。
《『日興門流上代事典』「弟子分本尊目録」の項、高木豊「日興とその門弟」(『研究年報 日蓮とその教団』第四集)、本間俊文『初期日興門流史研究』》