妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日隆信心法度

にちりゅうしんじんはっと #3174

日隆信心法度

にちりゅうしんじんはっと

日隆(一三八五-一四六四)が制定した一三ヵ条からなる『信心』をいう。
日隆は宝徳三年(一四五一)二月朔日、六七歳、この法を定め門真俗に化儀法則を確認させると共に、後来の真俗の規範を制定した。
本法は当代の写本一軸が京都妙蓮寺に現存。
両山歴譜』もこの法を載せているが、仮名を諸所に漢字に改め読み易くしている。但し、『歴譜』所載のものには字句に脱落がある。また第一〇条と第一一条が入れ替っている。おそらく後代の誤写であろう。
さて本法度をみると、応永二〇年(一四一三)制定された『妙覚寺法式』と同様の趣旨が述べられ制せられている。
そして他宗の寺社への参詣、謗供を禁ずるため不受不施を守ることを誠しているのであるが、ほとんどの条目が信徒を対象にしている。
まず第一条で「他宗はう法のだう・やしろへまいるべからず、同ク神おがみ、一し・はんせんにても、くやうすべからず」といい、第二条では「みこ・かんなぎつかふべからず、同クおこりおとさせ、よろずのきたう、さすべからず」と規制する。
、信徒が他宗の寺社に詣で、みこ・かんなぎ(神子・御子・巫子巫・覡)によって口寄せの神託を聞いたり、祈祷させたりしていたことがうかがえる。
また第三・四条によると、葬儀のに当宗の僧がいなければ他宗の僧を頼んだり、他宗の仏事に入っていたようである。
更に第六条に「た宗のくどくぶろへ、木をそへなんどしても、そうじて入べからず、こなたへもた宗の人々お、くどくぶろに入べからず」と制されていて、このころには仏事供養のために風呂(功徳風呂)が立てられ一般の人を招いて入浴の接待をしたらしい。
このような宗教的生活や儀礼について日隆は懇切に指導し注意しているのである。
中の信仰指導の面についても、第八条に、謗法隠匿を誡め、夫が妻の改宗の教導する時、三ヵ年限度と妙覚寺法式の制に従いながら、妻が夫を導びくは年限を定めず誘引させるように考慮している点が目につく。
また第七条に「くばうノよりほか、なににても候へ、仏事きたうに一し・はんせんいだすべからず」といって、他宗の仏事、祈祷に供養することを禁じたことは当然であるが、特に「公方の事」を頭書において、これを除いたこと、つまり公武除外の不受不施制であったこともうかがえる。
《宮崎英修『不受不施派の源流と展開』》

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