日蓮記(福地桜痴作)
日蓮記(福地桜痴作)
にちれんき
福地桜痴(ふくちおうち)の書いた脚本。
明治二七年(一八九四)五月に博文館より刊行。
同月八日から東京歌舞座において上演された。日蓮聖人役は市川団十郎(九代目)。
ほかの配役は団十郎が日蓮聖人に加えて北条時宗・琵琶法師、市川新蔵(五代目)が日朗・明星天童子・榛沢六郎・赤鬼人形の精・鳶の者、片岡市蔵(三代目)が平左衛門尉・本多六郎左衛門・伊賀平内左衛・鳶の者ほか。
法難の場面を中心に鎌倉・佐渡を舞台に「仏門の英雄」としての日蓮聖人の行動を描いたもの。
これ以前の日蓮聖人劇の脚本はいずれも歌舞技作者によって書かれたものであったが、この作品は戯作者以外の手によって初めて執筆された脚本としての意義をもっている。
八幕物。
第一幕(一)雀目谷(大学三郎危難の場)(二)松葉谷(頼綱御論責の場)(返シ)御猿畑(御庵室諸宗焼打の場)第二幕(一)大蔵亭(頼綱良観等讒(ざん)奏の場)(二)御道場(大士召捕の場)(三)御草庵(日朗上人召捕の場)、第三幕鶴岡(八幡鳥居前の場)、第四幕(一)竜口(竜口御法難の場)(二)行合川(両使早馬行合の場)、第五幕(一)鎌倉牢(日朗上人土牢の場)(二)依智郷(本間邸星降の場)第六幕(一)塚原野(佐渡塚原御法問の場)(二)三昧堂(日朗上人訣別の場)、第七幕御陵前(佐渡御陵参の場)、第八幕(一)新御所(蒙古退治評議の場)(二)頼綱亭(頼綱滅亡布教免許の場)。
以上が内容となっている。
幕府諫暁から法難を経て三度び諫暁するまで、法難を通して剛毅に生きる日蓮聖人の姿を捉え、そこに「希世の英雄」「仏門の一大豪傑」としての特性を示そうとしたもの。
従来の脚本が日蓮聖人の真相を十分描写しえていないとの立場から、正法の弘通をおのれの任とし仮借なく奸を挫き邪を破り壮快なる言論と剛毅な気性とをもって、釈尊に等しいほど一世を風靡した日蓮聖人の事蹟を示し「豪邁の大士を写出す」ことをめざしている。
特に史実と伝承を織りまぜつつ雨乞いや星降りの奇瑞を盛りこみ、また事蹟を文永八年(一二七一)の竜口法難が起ってから「布教免許」に至るまでの六年間の事とし、その中に前後の事実を取り入れたり「布教免許」や「日月曼陀羅」等の場を設定し大胆な脚色をほどこしている。
全般的に日蓮聖人の教えや精神の内実よりも豪放でたくましい英雄・豪傑として描くことに比重をおいており、活歴物としての特質を貫いている。
「日蓮聖人を主人公としながら、宗教劇らしい意義や空気は存外稀薄なものとなっている」(坪内逍遙『法難』序)という批評もみられるが、法難にたち向い世を救う希世の英雄像の面目を直截に示し奸悪を打ち破り正法の弘通に生きる剛の日蓮聖人の一側面を描き出した脚本として名高い。