与同罪【歴史】
与同罪【歴史】
よどうざい
律令制における罪名。
主犯でない者が犯罪に連座して罪に処せられる。
共犯罪。
犯罪の事情を知りながら見ぬふりをしたり、訴えなかったり、あるいは力を貸したりする者は犯罪者と同罪とされる。
日本古代の法制では「反坐」を与同罪と称した。
「反坐」とは唐律の闘訟律に準じて制定されたもので、訴訟における刑である。
他人を誣告して罪に陥れようとした者は、陥れようとした罪と同じ刑に処せられ、裁判官が情実により無辜の者を罪に陥れようとした時も同じである。
「反坐」を「与同罪と称するの類」と定義づけるところから、与同罪という言葉が用いられるようになったと考えられている。
中世において、『御成敗式目』は第一五条謀書罪科の下に与同罪を規定している。
日蓮聖人は『秋元御書』に、「譬ば我は謀叛を発さねども、謀叛の者を知りて国主にも申さねば、与同罪は彼謀叛の者の如し」(定一七三九頁)と記されている。
このような法制上の与同罪を、聖人は謗法者を可責しない者に比される。
謗法対治の依文としては『涅槃経』の「置不呵責駈遣挙処」等の文があげられ、これを仏の諫文として受けとめ、謗法を責めない者は仏法の怨敵であり、謗法者と同罪であるとされる。
『主君耳入此法門免与同罪事』には「謗法者を責めない弟子は、心は日蓮に同意でも身は別であり、与同罪をまぬがれることはできない」(定八三四頁)と述べ、『南条兵衛七郎殿御書』等には「いかに法華経の信心が厚くとも法華経のかたきを責めなければ得道はできない」(定三二一頁)、「人を恐れて黙止するならば、必ず無間大城に堕ちる」(定一七三九頁)と記されている。
聖人は四条金吾らの武士に、与同罪の言葉を用いて謗法与同の罪を訓諭された(『主君耳入此法門免与同罪事』『頼基陳状』『秋元御書』等)。
謗法者への供養や謗法者からの受施等も与同罪であり、不受不施義を堅持して謗法呵責を実践するよう教示されたのである、とくに『秋元御書』には謗人・謗家・謗国における与同罪を説き、破邪顕正の実践を強調されている。
《宮崎英修『不受不施派の源流と展開』、『遺文辞典』歴史篇「与同罪」の項、『日蓮辞典』「与同罪」の項》