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方便品読不問答

ほうべんぽんどくふもんどう #2388

方便品読不問答

ほうべんぽんどくふもんどう

建武元年(一三三四)正月七日、大石寺にある日仙のに二〇余人が集まり、日興の本六の一人日仙と新六の日代とのに問答が行われた。 これを方便品読不問答という。
日仙はのち岐に赴いている。 日代はこの前年に示寂した日興より重須を譲られていた。
この問答についてはその座に列席した日満の『方便品読不之問答記録』と、同じく日叡の『日仙日代問答』、それから『尊師実録』がある。
日満の記録によれば、日仙は迹門無得道の故に方便品は読むべからず、というに、日代は読むべし、迹門に得脱有無を論ずるには与奪破の三釈がある、与釈においては一応の得益を許すも真の得益は寿量品にある、この相伝によって高開両祖(宗祖・日興)の如くに方便品を読むべきであると責めて日仙を閉口させたという。 これに対し日叡は、日代はじめに迹門に得道あり、というに、日仙迹門方便品一向に読むべからずという。 この日仙の義は目の僻釈に等しいが、当日の問答は日仙が勝ったと記している。
両者の記録は全く相反するので勝敗の真相は明白でないが、この論争は富士門徒学を大きく動揺させたのである。
法華中に本迹勝劣を論じ、迹門無得道と主張すれば方便品不読を論ぜねば徹底せぬし、方便不読を主張すれば宗祖並びに開祖日興が方便、寿量の二品を日常読誦していたことに違背し、当時すでによく知られていた天目の方便不読の邪義に堕さねばならない。 といって方便読誦を守って迹門の一往得道を論ずれば鎌倉方に同ずるものと難ぜられる。 かくして苦心の会通が生れるのである。
大石寺の日道、重須の日妙らは所破のために読み、読んでこれを捨てるのであると会通し、重須談所学頭・日順もまた所破のために読む、これによって本門に引用するのだといった。
日尊はこれらを評して題目五字は迹本観の三法妙の当体であって方便品を所破のために読むのは深義を知らぬからであるという。
以上これらによって興門諸師の学の対立情況がうかがわれ、これが重須における日代と日妙の継承問題とからんで日代は西山に去るに至るのである。

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