迹門無得道
迹門無得道
しゃくもんむとくどう
法華経は一切の衆生が等しく成仏できる教えを説いたものであるが、迹門一四品(序品―安楽行品)では無上道を得ることができないという意。
その理由として迹門の教えはいまだ浅い故に、末法の衆生は本門の機であるが故に、末法は本門流布の時であるが故に等々が挙げられる。
しかし、これをもって迹門を無視し捨て去るというのは誤りである。
『観心本尊抄』に「一品二半より外は、(略)未得道教・覆相教と名づく。
(略)爾前迹門の円教すら尚仏因に非ず」(定七一四頁)とあるが、迹門を無用無益として捨て去ることに対しては「迹門無得道と云って、迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給ふ人々は、いまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ。
以ての外の僻見也」(『四菩薩造立鈔』定一六五〇頁)といましめている。
なお教学史上迹門無得道を論じた人に天目・日仙(『方便品読不之問答記録』)・日陣(『選要略記』『宗全』七巻所収)らがいる。