打敷
打敷
うちしき
むかし、多く用いた布帛、今は仏前の卓上を覆う荘厳仏具の一種。
打敷というのは打布・内布と共に俗語で、漢語には卓圍といい、経論では敷具(しきぐ)といい、仏堂の高座や須弥壇の上や仏壇の前に置く華・香・灯燭等の仏具の下に敷くものの一種で、四角形又は三角形で、金襴や錦など美しい布で作るが、その起源は定かでない。
正倉院南倉には白椽綾几褥(しろばみのあやのつつるくえのじょく)・紺地夾纈施几褥(こんじきようけちのあとぎぬのつくえのじょく)赤紫地臈纈施几褥(あかむらさきじろうけちのあしぎぬのつくえのじょく)紫地錦几褥(むらさきつくえのじにしきのじょく)等大小数十点が格護されており、打敷として最古のものである。
打敷が仏座(ほとけのざ)・仏の通路を荘厳した宝衣から転じたものかは詳かではない。
『菩提荘厳陀羅尼経』に、「是の中に於て師子座あり、閻浮檀金を以て成じ七宝荘厳せり。
種種天妙の衣服を以て其の席上に敷く」。
『過去現在因果経』第一に「善慧は地の濁湿せるを見て自ら念言すらく、云何ぞ千輻輪の足をして此れを踏んで過ぎしめんと、即ち鹿皮を脱して以て用て地に布く。
如来之を踏みて渡り給ふ」。
『無量壽経』巻上に「衆寶の妙衣を以て徧く其地に布く」。
『往生礼讃偈』に「満道鮮衣を布く」。
『十住論』九に「一諸仏の師子座は金薄の幃帳。
柔軟滑沢の種種の天衣を以て敷具と為す」。
『過去現在因果経』第二に「諸の絵綵宝幢幡蓋を懸け、衆の名華を散じ、是の如く荘厳すること十二踰闍那」といい、又『無量壽経』巻下には「絵を懸け燈を燃やし散華焼香し此を以て回向す」。
『法華経』見宝塔品に「通じて一仏国と為て宝地平正なり、宝を以て交露せる慢、徧く、其の上に覆い、諸の旛蓋を懸け、大宝の香を焼き、諸天の宝華、徧く其の地に布けり」などとあるように、絵綵幡蓋を以て供養荘厳したのが、転じて仏前の卓をも飾るに至った。
上記の如く打敷は仏前荘厳の具であるから、彫刻や彩色のほどこされた須弥壇、前机等を覆うような用い方はすべきでない。
〔注〕(1)十二踰闍那(yajana)踰膳那・踰膳那とも音写し、合・和合・限量などと漢訳する。
インドの里程の名、計数については異説が多いが、新しい仏典では八・一キロメートル、古い説では二二キロメートル、摩掲陀国の習慣として一六キロメートルなどである。
《『宮内庁蔵版正倉院宝物』》