妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

思親閣(山梨県南巨摩郡)

ししんかく #2163

思親閣(山梨県南巨摩郡)

ししんかく

身延山三門から五〇丁、海抜一一四八メートルの、身延の嶺あるいは芬陀利峰(蓮華の梵語)とよばれる身延山頂にある身延山の奥之院。
思親閣・大庵または芬陀利窟と称せられる。 思親とは日蓮聖人の親を思う気持、大とは両親・師への至の念を記念したもの。
日蓮聖人は文永一一年(一二七四)から弘安五年(一二八二)にいたる西谷御草庵での生活の折々に五〇丁の山坂を登り、山頂のこの地に立って遙かに東の方、故郷房州を望んで父・母・師への報恩の回向を捧げたと伝える。
思親閣の堂宇はすでに聖人入滅の翌年日朗によって建立され、その後聖人の大孝を思う人々の丹誠によって道も開かれ、諸堂も増築されていったというが、二四世日要代の元和五年(一六一九)、加賀前田利家の側室寿福院夫人が氏の菩提のためにここに祖師堂および拝殿を建立し、初めて本格的堂宇の実現をみる。 その後二九世日莚代に徳川綱の息女円明院によって再建される。
現今の祖師堂は大正二年(一九一三)の改築で、堂内には中老僧日法の作と伝える日蓮聖人像と、両親、六老僧像等が安置されている。
二王門は六浦平次郎入道妙法禅門の建立にかかり、かつて本院本堂前にあったものを三一世日脱代に今の地に移転したもので、二王尊の開眼は日脱が行っている。 昭和一〇年(一九三五)の再建である。
二王門にかかげられる「思親閣」の三字の額は四五世日応の筆。 鐘楼堂は三〇世日通代の建立で七〇世日祥代の再建。
二王門を入り祖師堂に向って左側に元政埋髪塚がある。 元政は父の遺骨を首にかけ、年老いた母の手をひいて身延に登山し、ここに父の骨と自己の髪とを埋めた。 そのことを『身延道の記』に「うしろに、大きなる木あり、そのもとをほりて、父の遺骨をおさめ、おのが、そりかみをも、うづみぬ。 (略)つつみ紙に書きつけたるうた、いたづらに 身をばやぶらで 法のため 我くろかみを すてし嬉しさ 高祖上人の、九年のあひだ、日ごとに、此峯にのぼりて房州のかたをのぞみ、父母の御墓を、こひしのび給ひしあはれに、かたじけなし」と書き遺している。
二王門にいたる坂の両側には、日蓮聖人が両親、師道善房追善のためにお手植えになったと伝える四本の老杉がそびえている。
現在思親閣別当は任期三年で支院住職が務めている。
《『日蓮聖人事蹟事典』(雄山閣)「山梨」の項、『日蓮聖人大事典』「日蓮聖人と父母」の項》

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