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御書続集

ごしょぞくしゅう #2115

御書続集

ごしょぞくしゅう

三巻三冊。 英園院日英(一七九三―一八五六)撰の遺文集。
保一三年(一八四二)刊。 当日英は備後水呑妙顕寺現住。
これより先、日英は日重本=本満寺本録外と日護本=三宝寺本録外の二本をもって刊本録外と校合した結果、刊本になく二本にあるものを拾い取り、刊本における脱簡を所蔵していたが、京都在住の友人山本某が、遺文の片簡短札といえども湮没さすべきではなく、その蔵するところの刻を勧めたので、これを同年刊行したのであった。 巻之上には『三種教相』『三種教相要文』を収録。 前者を「宜称広本」とし、後者を「私称略本」とし、二本は日護写本にあるが、広略の異なりがあるのみならず、互いに文章に存闕があるので併せ刻したといい、かつ現行刊本ともやや殊なると注記している。
巻之中には『師子頬王抄』(定本続三・旧護本)『四条金吾御書』(二一九・日重・日護本)『謗法堕獄抄』(六八・六郎恆長御消息・両本)、次いで『早勝口伝』(続二三)の書名を掲げ、現行の故に省略するとし、次に『波木井殿御返事』(末入・両本)『ショウトドノゝ御返事』(三一七の末文、日護本とするが、日重本の誤り)『土木殿御消息』(六七・日重本)の六篇の文章を掲げ、次いで「現本録外を重護二師の本に校合して、その脱せる者を捃いてこれを載す」とし、『祈祷経言上書』『八大地獄抄』『報恩抄送文』『八宗違目抄』『持妙尼書』『万法一如抄』『色心二法抄』『今此三界合文』等の脱文を挙げる。 さらに「現本録外及び護重両本にはこれなき祖書目録左の如し」として『十一通御書』(ただし、日重本にはこれを収録)以下八篇の名を列挙し、その後に日護本に戟せる『日興上人奏聞』・『同言上』・『常忍不審状』・『常忍言上』・日像撰『妙顕寺法華宗弘通抄』および『行敏状』『行敏御返事』『行敏秦状』『強仁状』等を付している。
巻之下には、これより早く宝暦四年(一七五四)中山法華経寺本是院日貞が、同寺に真蹟が所蔵されながら、刊本録外収録漏れの富木氏宛て書状七篇(定本一〇一・一二六・一六二・一九五・二一一・三八九・三九八)および刊本に収めるもそれに異なるとして同寺蔵の真蹟を写した『可延定業御書』(一六三)と『此経難持十三箇条秘決』(続二四)を纂訂したものを収めたのであった。
巻之下には、日英の附言を載せるが、日英は本書を「祖書続集」と題すと明記し、三巻の内題も共に「祖書続集」とある。 版は先の刊行を勧めた山本某が先祖代々および近親者の追善菩提のため、援助して成り、その蔵するところであったが、のち平楽寺村上勘兵衛の手に帰して、同書林から売出された。 流布本がこれだが刊は不明。 売出されるに当り、日英の自題や内題に関わりなく「御書続集」の貼外題(はりげだい)がなされ、この書名が一般化されたと考えられるのである。
なお日英は、日護本・日護の写本と称しているが、日護に録外書写のことはなく、三宝寺本録外は日護所持本とすべきである。
浅井要麟「祖書編纂の史的概観」『日蓮聖人学の研究』》

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