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妙法華寺(静岡県三島市玉沢)

みょうほっけじ #1560

妙法華寺(静岡県三島市玉沢)

みょうほっけじ

日蓮宗由緒寺院の一つ。
静岡県三島市玉沢に所在。
経王山と号す。
日蓮聖人直弟の六老僧の一人・日昭(一二二一-一三二三)の開山であるが、寺としては初祖に日蓮聖人を推している。
日昭は聖人在世当時にあっては鎌倉の浜(浜土)に庵を結んでいたが、聖人滅後の弘安七年(一二八四)一二月に経王山法華寺と称するようになった。
のち康安元年(一三六一)津波によって大被害を受け、よって寺を材木座に移転し、山号を弘延山と改めた。
その後、更に寺を高御倉小路に移転したが、土地は材木座の地内であった。
文七年(一五三八)上杉憲実と北条氏康とが戦うのに会し、建物はそのままにして、越後(新潟県)村田の妙法寺に兵難を避けた。
文禄三年(一五九四)一四世日苞のに至り、伊豆加殿村に寺基を移し、再び経王山と号し、伽藍も一往建築された。
一五世日産は現在の玉沢の地をトし、近郷一三ヵ村の承諾を得て寺の移動を幕府に願い出た。
その結果、縦一〇九〇、横五四〇の土地を拝領したので、これをもって境内地とした。
この以後、日達・日亮の代に亘って伽藍も大いに建立され、元和七年(一六二一)に至って完成した。
これは養珠院お万、英勝院お嘉知、徳川頼宣、徳川頼房、太田道顕、三浦為春らが大檀那となり、巨額の浄財を寄せられたからである。
の建物は総門仁王門を経て、一八間四方の大本堂、大中鐘楼、五重の塔、経蔵、三光堂、大客殿、祖師堂、大中書院、大小庫裡、周囲に二四の塔頭等があったといわれ、二四世日迅のから妙法華寺と公称するようになった。
かく法運隆昌、雄大壮麗の寺観を誇ったが、寛政三年(一七九一)失火により本堂以下全山の殆どを焼失した。
その後、四一世日桓らによって再建されたが盛には未だ及ばない。
当山は硯学の高僧が相次いで貫首となっているが、江戸代の禅智日好、境持日通、境修日桓、明治以後では久保田日遙らが著名で一家の学風を形成し、玉沢門流等と称せられた。
寺宝としては日蓮聖人説法図、絵曼荼羅、註法華経、撰時抄(以上重要文化財)、日蓮聖人筆の曼荼羅、消息類、聖人肉歯、聖人の使用品等(以上宗宝)多数があり、宝物殿に格護されている。
《『日蓮辞典』「妙法華寺」の項、『史大辞典』一三巻「妙法華寺(静岡)」の項》

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