三光堂
三光堂
さんこうどう
永正年間(一五〇四-二一)に本国寺境内に造られた堂である。
その頃の本国寺主は一二世観行院日了であったが、寺門賑わず困窮のため信者の松永弾正久秀が三光堂を建て日了に盡力した。
その後この堂は天文の法難(天文五年=一五三六)に被災し、天文一三年一四世蓮光院日助の手により本国寺再建の折、東西二間半、南北二間の建物となった。
更に天明八年(一七八八)正月晦日、俗に天明大火と称する火災により本圀寺(江戸初期に本国寺から改称)も多くの諸堂を灰燼にした。
三光堂も焼失しその後東西二間半、南北三間半に復興したが、今の本圀寺に三光堂はない。
いま明徳高校前本圀寺総墓はこの松永弾正久秀の邸跡である。
《『本化別頭仏祖統紀』、宮崎英修「松永弾正久秀」『日蓮宗の人びと』》