妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

妙法寺(神奈川県鎌倉市)

みょうほうじ #1549

妙法寺(神奈川県鎌倉市)

みょうほうじ

神奈川県鎌倉市に所在。
楞厳山と号す。
もと京都本圀寺の末寺
寺伝によれば日蓮聖人の鎌倉弘通の拠点であった松葉谷小庵の地に建てられた本国寺(日親の『伝燈鈔』では本勝寺と記す)が、四世日静の代貞和元年(一三四五)京都六条堀川に移され、その跡地に延文二年(一三五七)妙法房日叡(大塔宮護良親王の遺児、字名を楞厳丸と伝える)が当寺を建立したという。
それゆえ松葉谷小庵の旧地を唱える。
しかし小庵の旧地については、近隣の安国論寺・長勝寺もそれぞれ同様の寺伝を有し、にわかには首肯しがたい。
その後室町期には種々の塔頭を従えた寺院として勅願寺にもなっており、永享九年(一四三七)足利持氏の催した法華万部会には、塔辻ノ妙法寺の名で比企谷妙本寺・浜法華寺・小町妙隆寺と並び加わっている。
また文明一五年(一四八三)から文亀二年(一五〇二)頃にかけて、円明院日澄がこの妙法寺で『法華啓運鈔』の講談およびその整・清書をしていたことも知られている。
このように室町期隆盛を示した妙法寺ではあるが、江戸代に入ると一期全くその面影を消してしまい荒廃したもののようである。
しかしこうした状態も、本圀寺旧地という由緒によって本寺本圀寺の援助のもと徐々に立ち直り、中期頃には鎌倉本圀寺末七ヵ寺の触頭として機能し、また片瀬八箇寺の支配本寺として妙本寺・本覚寺と並び鎌倉三山の一つに数えられるまでになっていった。
これに伴い諸堂も次第に整備・復興され、以後後期にかけて三二世日応・三三世日慈の両師の活躍により、水戸家の庇護や数度にわたる江戸出開帳に成功を収め寺運を向上、現在に至る。
《『日蓮聖人典』(雄山閣)「神奈川」の項》

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