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鎌倉八幡宮(神奈川県鎌倉市)

かまくらはちまんぐう #5055

鎌倉八幡宮(神奈川県鎌倉市)

かまくらはちまんぐう

鶴岡(つるがおか)八宮ともいう。 神奈川県鎌倉市雪ノ下にある。
源頼義が康平六年(一〇六三)に奥州征伐のとき、山城の石清水八幡宮を鎌倉の由比郷鶴岡に勧請し、由比(鶴岡)若宮と称したのが濫觴だという。
治承四年(一一八〇)に源頼朝が鎌倉に入ると、同社を鎌倉の中心地、小林郷北山に遷した。
ところが建久二年(一一九一)の大火で全焼、頼朝はただちに社地の後方にある大臣山の山上に本殿を造営し、あらたに石清水から八三所を移遷して本宮とした。
なお若宮も旧地に再建したので、山上(上宮)と山下(下宮)とよばれ、以来幕府の守護神、源氏の氏神として栄える。
年頭には将軍自ら社参し、朝廷の勅書の拝賀式も、ここで行うのが恒例となった。
建長五年(一二五三)に日蓮聖人は鎌倉松葉谷に草庵を結んだ。 当当社の大蔵には貴重な典が所蔵されていたので、聖人はこれを数ヵ月にわたり渉猟されたと伝えられる。 またこれを聖人入蔵の五回のうち、四回目であるとする説もある。
文永八年(一二七一)九月一二日の竜口法難のとき、鎌倉から竜口の刑場に夜に入り護送される途中、八幡社頭にさしかかると、聖人八幡大菩薩に最後に申すことがあるといって行列を止めさせ、諫言したという。 これは『種種御振舞御書』にあるだけで他の遺文には見当たらない。
真蹟のある『諫暁八幡抄』には、伊東、佐渡両度の流罪で捕えられたとき「日蓮一分の失なくして、南無妙法蓮華経と申大科に、国主のはからいとして八幡大菩薩の御前にひきはらせて、一国の謗法の者どもにわらわせ給しは、あに八幡大菩薩の大科にあらずや」(定一八四〇頁)と回想されているから、日本国の守護神ともいえる八幡大菩薩に対し、社頭に諫暁をされたことを物語っているとも見られよう。
なお聖人滅後二〇〇年頃に成立した『註画讃』は、八幡諫言の場を、日中、鎌倉の市中引き回しのときの出来としている。
《『本化別頭仏祖統紀、『遺文辞典』歴史篇「鶴が岡」の項、『日蓮辞典』「鶴ヶ岡八幡」の項、『史大辞典』九巻「鶴岡八宮」の項

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