妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

道徳教育

どうとくきょういく #4972

道徳教育

どうとくきょういく

広義には人の道徳や品の育成を目的とした教育となろうが、さらに概括すれば、子供のに関する意識を高め、一定の社会的な諸条件に適応していける力を子供に訓練し、指導する育をいうのである。
日本の民教育では明治五年(一八七二の「学制」で修身という道徳教育の規定があったが、儒教主義と皇崇拝に結びつき「育勅語」へと発展していった。
この流れは、政治的支配のための「育」といわれているが、第二次世界大戦後、この傾向は学校育から排除された。
戦後、連合軍の指令によって、科としての修身は停止され、道徳教育は教育活動の全面において行われるものであるとする全面主義道徳教育の考え方が強調され、徳目的なやり方は否定された。
昭和二二年(一九四七)に成立した「育基本法」によって修身科は消え去り「平和的な国家および社会」を形成する個性豊かな人格の育成を目的として、教育の全課程を通じて行われることになった。基本法の成立後一年を経て昭和二三年五月に衆参両議院で教育勅語無効決議があったことは日本の道徳史上で、特筆すべき出来であった。
しかし、その後全面主義だけでは不十分であるとの反省期に入り、道徳教育を特設することとなり、昭和三三年、戦後第三次の学習指導要領の改訂が行われた。
昭和五二年七月、文部省は「改訂小学校学習指導要領」を発表して、道徳教育の目標を「人間尊重の精神を家庭、学校その他社会における具体的な生活の中に生かし、個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び家の発展に努め、進んで平和的な際社会に貢献できる日本人を育成するため、その基盤としての道徳性を養うことを目標とする」とし「児童の道徳的判断力を高め道徳的心情を豊かにし、道徳的態と実践的意欲の向上を図ることによって、道徳的実践力を育成するものとする」とその方向づけをしている。
一般的に全課を通して育は高い道徳の涵養による人間形成を求めていることには異論はないが、学校における教育活動と並んで、あるいはそれ以上に育にウエートがおかれてよいことは世人の認めるところであろう。
庭生活全般殊に日常の父母の在り方が子供に反映し、それなりの価値観をもつようになるのである。
「まず庭においてその基礎教育が行われ、子どもが成長していくにつれ、地域社会や学校における生活を通じ、また学校における意図的な道徳教育の計画によって行われていくことになるものであるが、子どもの就学後においても、家庭生活における親の価値観や行為のあり方や親の意図的な道徳教育は引きつづき重要な役割を演ずるものである」「親自身が常に価値的により高い目標に向かって悪戦苦闘しながら全力をつくし、道徳的に高まろうとする努力をつづけている毎日毎日の生活のすがたが、子どもの品性を高めるための、最も肝じんな条件である」「両親が子どもを敬愛し、信頼し、子どもも両親に対して、敬愛・信頼の気持をいだいていることが、人間関係の基礎として最も肝じんなことであろう」(『家庭教育指導典』)。
ドイツのことわざに「モラルは母のひざの上で、母乳とともに吸い込まれる」といわれている。
本来、社会生活には、その社会固有の風俗・習慣・規則及び法律などがあり、それが一連の規制力となって、秩が維持されている。
その社会生活を通じて人は、他律的にも自律的にも、その一生を通じて評価に堪え得る人として、道徳的向上のために努力精進すべきものなのである。
道徳教育は、単なる徳目の羅列や知識的なものではなく、生活全般に浸透すべきものであり、今後は社会教育の面においても重要な課題となるであろう。
宗教もまたその布教を通して強力な社会道徳活動を任務とするものである。
《文部省『小学校学習推指導要領』、帝地方行政学会『家庭教育指導典』、渡部昇一・宮坂宥洪『「修身」全資料集成』四季社

← 事典トップ