莚師法類
莚師法類
えんしほうるい
莚師法縁とも称し隆源院日莚を祖に仰ぐ法脈をいう。
日莚は京都西陣に生れ中正院日護の弟子となる。
中村檀林に学ぶこと十数年、然るに同檀林は衰頽の時期に遭遇していたため、学友妙心院日奠(奠師法類祖)と共に時の化主通心院日境を助けて中村檀林復興に尽力した。
他方また日境を慕って飯高檀林の学徒八〇余名中村に来檀し、これに応えて日境は真如庵に「東法眷」を開設して学徒の指導に当った。
これと呼応して顕是院日要は観月庵を創設し、ここを「西法眷」となし日莚もまた学徒を指導した。
西法眷には日莚を祖とする流と日奠を祖とする流の二法脈から成っている。日莚は中村檀林一〇世、小西檀林一一世を経て玉沢妙法華寺二〇世、京都妙顕寺一七世、身延二九世に晋董した。
また弟子中道院日春は中村檀林一四世、冠山化主二世、松ケ崎化主一三世、京都妙顕寺一八世に、隆源院日隆は中村檀林二四世、三昧堂檀林三世、京都妙覚寺三〇世、本圀寺二〇世に、観樹院日空は中村檀林一八世、求法院檀林一一世、京都妙覚寺二九世、京都妙顕寺一九世に、隆真院日利は中村檀林二八世、求法院檀林一七世、谷中延命院、紀州蓮心寺、京都妙顕寺二二世に、また日莚の孫弟子の観具院日諦は中村檀林五八世、京都妙顕寺二八世に、真源院日浄は中村檀林六八世、松ケ崎檀林四六世、京都妙覚寺三七世にその他唯妙院日解の中村檀林八三世、洛立本寺三三世、本圀寺二九世など弟子八〇余名という。
なお初めに述べた東法眷の日境は玉沢一六世真応院の弟子で、寛永一七年(一六四〇)中村檀林八世に就任以来八ヵ年余在職するも、この間に正保元年(一六四四)学徒に不受の論おこり、同檀林は学務混乱その疲弊は建造物の朽廃までに至った。
これを見て日莚、日奠は日境に協力し同檀林の再起復興に努力して浮沈の挽回を図る。
また玉沢より日境に屈請あるも辞退して日莚を推挙した。
即ち日莚は玉沢妙法華寺二〇世となり、日境は慶安元年(一六四八)身延二七世に晋董した。
この中村檀林東・西法眷は他に数法類の母胎となっているが、莚師法類は京都において妙顕寺及び本圀寺に伝えている。
《影山堯雄『諸檀林並精貞法類』、『身延山史』、『莚師法縁隆源会誌』》