妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

臨滅度時の本尊

りんめつどじのほんぞん #4548

臨滅度時の本尊

りんめつどじのほんぞん

鎌倉比企谷(ひきがやつ)妙本寺に現在格蔵されている、弘安三年(一二八〇)一〇月、日蓮聖人御直筆の一〇枚継の大曼荼羅のこと。
御本尊集』(『日蓮聖人真蹟集成』第一〇巻)八一番に収載されている。
日蓮聖人御入滅の際、枕頭にかけさしめたもうたとの所伝に基づき「臨滅度時の本尊」と尊称し、また題目の筆法が竜を表すとの同寺の所伝から「蛇形(じやぎよう)の本尊」というよび名もある。
聖人の御伝記を尋ねると、日蓮聖人は弘安五年九月、病気療養のため身延を下り、常陸の温泉に向ったが、途中、武蔵池上郷の檀越池上宗仲の館に着いた。
そこで聖人は既に入寂の時の近いことを知って、ここを臨終の所と定め、やがて一〇月一二日酉剋(とりのとき)に枕頭に大曼荼羅をかけさせ、その前に随身仏として生涯給仕された釈尊立像を安置し、翌一〇月一三日門下の読経のうち辰の刻に入滅されたと伝えられる。
この、枕頭に掛けさせた大曼荼羅を「臨滅度時の本尊」という。
このことは『元祖化導記』『当家宗旨名目』等に記されているが、この説の初出は聖人滅後六一年に日興の弟子日代が日郷に与えた書状、即ち『宰相阿闍梨御返事』(『宗全』二巻)に「御円寂の時の件の曼荼羅を尋ね出され懸け奉ること顕然也、勿論なり」に求められる。
このことから聖人御入滅の時にこの大曼荼羅をかけさせたことは、聖人門下一般にとって知悉のことであったと推定される。
なお、このことは同本尊の改装によって紙背に見出された授与者日朗の自記「日朗(花押)」によって、当本尊が師臨滅の場に日朗が持参していたことを証していて、枕頭奉懸実を告げている。
《『日蓮聖人事蹟事典』(雄山閣)「曼荼羅」の項》

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