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両部習合神道

りょうぶしゅうごうしんとう #311

両部習合神道

りょうぶしゅうごうしんとう

略して両部神道という。
また大師流神道とも称す。
真言密教説に基づいて発達した神道説をいう。
両部神道で祖と仰ぐ人物には三説ある。
ち『古今神学類聚』では聖武天皇を祖とし、また『説法明眼論抄』を聖徳太子の作として祖とみなし、『天地麗氣記』を空海の著作とみて祖とみる説である。
これらはいずれも仮托にすぎない。
もとより理面の充実はなかったにせよ、神混淆の実は奈良、平安代からあったことは顕著である。
しかし次第に本地垂迹説が円熟し、天照大神の本地は大日如来であると主張されるに至った。
このような中で空海の著作に擬定される『両宮形文深釈』『丹生大神宮之儀軌』と、行基の撰述と仮托される『大和葛城宝山記』などが書かれ、両部神道は成立するのである。
その思想は両部、密教において金剛界の智用と、胎蔵界の理性とは不二にして別にあらず、という義に基づいて両部を伊弉諾・伊弉冉の両神に配したり、伊勢の外宮を金剛界の大日、内宮を胎蔵界の大日とみて一体不二を説くのである。
この説は鎌倉時代に現れ、大和の室生寺や三輪明神の大御輪寺で発展していくのである。
室町代になると、室生寺系を大師流神道あるいは御流神道といい、三輪系を三輪流神道といわれるようになった。
両者とも照大神への信仰を強調するもので相似たものであった。
この両部神道も明治元年(一八六八)の「神仏分離令」によって次第に影を薄くしていったのである。
この両部神道は日蓮宗に関りをもつ吉田神道に、室町代に影響を与えるのである。

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