妙傳寺聖典個人版 新・電子聖典

日悦(慶陽院)

にちえつ #2662

日悦(慶陽院)

にちえつ

(-一四九〇-一五二八-)
慶陽院と号し、その伝は明らかではないが、『当門徒継図次第』には六条門徒より日什門徒に帰伏した人と伝えている(『宗全』一八巻)。
延徳・明応の頃(一四八九-一五〇〇)鎌倉妙国寺に在って、延徳二年(一四九〇)一一月『本迹勝劣之事』一篇を著し、尊栄房日純を介してこれを比企谷妙本寺に送り、一致派の返答を求めた、しかしその返報なく、更に日悦は明応元年(一四九二)一二月九日、『本迹勝劣追加』一編を草して五六箇の疑問・難問を出して更に返答を求めた。
に円明院日澄は鎌倉妙法寺に住していたが、明応元年『本迹決疑抄』二巻(三巻とあるも、現存する立正大学図書館等の所蔵刊本は二巻であることから二巻とした)を著してこれに応酬した。
日悦また享禄元年(一五二八)一一月には『経中難問六』を著した。
かくの如く室町代中期に勝劣の問題に日什門徒として勝劣側にあり日蓮宗を大きくゆり動かした人で、『本迹勝劣之事』及び『追加』は円明院日澄の『本迹決疑抄』と共に本迹論研究の好資料である。
この日悦の学は大体、日存(一四三六-八〇)の迹門無得道を踏襲して、専ら一部修行・迹門無得道の意義についての弁明に努めている。
つまり与奪と権実相対、本迹相対の二に約して説明し、無得道の義を強調している。
これに付随して日存の寿量品・題目に限るとあるのを一歩進めて、題目の上に一致派の一部題目主義に対して、その上に本門にも迹門にも題目あり、今、我宗の題目は一品二半の題目なりとしている。
日悦は日存とその意を同じくするも、只その証明が巧みになっているにすぎない(日蓮宗学説史)。
かくの如く日悦は日存の所論を巧妙にし、強調したにすぎないようであるが、什門学の確立に傾倒努力した人に相違ない。
日悦・日澄の問答書について一部に問答の順を日悦『本迹勝劣之事』・日澄『本迹決疑抄』・日悦『追加』とあるが、『追加』・『本迹決疑抄』の内容・端書等からみると、『本迹勝劣之事』・『追加』そして日澄の『本迹決疑抄』の順であろう。
執行海秀『日蓮宗教学史』、望月歓厚『日蓮宗学説史』、立正大学日蓮教学研究所編『日蓮団全史』上、『宗全』五巻》

← 事典トップ