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日常置文

にちじょうおきぶみ #2610

日常置文

にちじょうおきぶみ

富木日常が没する直前の永仁七年(一二九九)三月四日に定めた置文
直筆中山法華経寺蔵。
『宗全』一巻、『中山法華経寺史料』等所収。
置文は四ヵ条より成る。
その第一・二条は聖教の管についての規定である。
「一、聖人御書ならびに六十巻以下聖教等、寺中を出すべからざること」(原漢文以下同じ)と定め、更に「右、聖教を惜しむ事法慳に似たりといえども、借失に至っては尚彼より甚し、よって何の大事有りといえども、当寺の困外に出す事、一向之を停止すべし、但、要に至っては、道場に於いて之を披見すること制の限りに非ず」という。
ここではまず、日蓮聖人自筆の聖教や消息などを、決して法華寺から外へ持ち出してはならないこと、もしこれを披見する必要があれば、道場においてこれを閲覧すべきであると、厳しく誡めている。
諸書の散逸について当然のことながら殊に意を注いでいることがうかがえる。
また、これらの諸書は法華寺の聖教殿の中に納めてあり「-、聖教殿居の」として「日常存生のの如く、一分の懈怠もなく之を勧めらるべし」とも定めているのである。
日蓮聖人自筆のこれらの諸書を立派に後世まで守り通すことが、教団の何よりもの使命であり、それはまた教団の宗教的権威を維持発展させることを意味したものともいえよう。
更に本置文団運営についても言及している。
まず「一、僧徒講衆等互に思い相うべきこと」とあって、教団構成員として「僧徒」と「講衆」が存在していたと判明する。
講衆は法華寺の信者で、彼らは「講」とよばれる宗教集団を形成し、僧徒の指導によって定日に講会を開き、互いの信心を磨いていた。
この僧衆と俗衆との有的結合体を「一結衆」と呼び「一味同心の思をなすべきこと」が何よりも強く要請されている。
また僧侶であると信者であるとを問わず「口論を好み僻を致す輩は、衆議評定を経て、親疎を択ばず、科の軽重に随って」制裁に服さなくてはならないという。
もしもなおこれに違反した場合には「門徒を擯出」=破門されるともいう。
こうして「日常存生の如き思をなし、僧徒講衆異議なく、議会以下の勤を、先々の如く緩怠なく之を行わるべき」ことが、日常によって厳しく定め置かれたのである。
日常の意図はこの置文を認めることによって、中山法華経寺の団の基礎を固めることにあった。
そしてまた、この置文には「当寺(法華寺)ならびに本尊聖教は帥殿(日高)に申し付奉り候、弘法寺は兵部阿闍梨(日揚)に申し付け候」と日高・日揚に「日常他界の後」の団の運命を委ねている。
この置文を制定した二一日後の永仁七年三月二〇日、八四歳の生涯を閉じた。
その後は遺言によって帥公日高が継いだ。
《中尾堯『日蓮宗の成立と展開』》

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